孫権や曹丕など、権力者の2代目、3代目にはお金に困る逸話が残る。
王や皇帝でもない1ボンボンの遊びなど、国を抑えている権力者からすれば微々たるものだろうけど、今後を考えて倹約を身に着けさせようと無駄遣いを許さなかったのだろう。呉は公金管理が緩いのか、若い孫権は、そのちょろまかしを部下に求めた。
以下は正史三国志呂範伝
呂範に孫策が会計を任せた事があった。
孫権は、そのころまだ年が若く、密かに呂範の元に来て金をせびったが、
呂範は必ず孫策に上奏して許可を求め、自分の判断で与えたりしなかった。
孫策の財布の紐は固く、孫権は呂範を恨みに思った。
孫権が陽羨県の長を務めた時、公金をいささか私用に使う事があった。
孫策が会計を監査する事があると、功曹の周谷は、いつも帳簿に書き加えをして
孫権が問責を免れるようにした。
孫権は周谷の行動を有難く思ったが、果たして自分が国を統治するようになると
呂範は忠誠な人物だとして重用したが、周谷は信用に値しないとして取り立てようとはしなかった。
いささかじゃねーよ(笑)
自分の事は棚に上げ感が強いが、立場が変わればという教訓である。
孫権も自分が国君になり、はじめて私的な忠義と国家への忠義が違うという事に気が付いたのだ。
周谷の行動は、孫権の為に見せつつ、結局佞臣の行動と変わる所はない。