はじめての三国志では、というより
正史でもド変態として名高い禰衡正平(でいこう・せいへい)。
正史三国志の平原禰衡伝では、
曹操に招集されて見事な太鼓の腕前を披露したとある。
しかし、他人に悪口を言う為に生まれたかのような禰衡は、早くから批判の対象で
西暦317年に成立した抱朴子(ほうぼくし)の外編では、弾禰(だんでい)として
わざわざ章を立てられて批判された。
ここにも、例の禰衡の太鼓の技が出てくるのだが、少し足されていて面白い。
以下は、抱朴子外編47巻 弾禰の部分
曹公(曹操)も腹に据えかねて禰衡を殺そうとしたことがあるが、
法に照らして死刑に値する罪を犯したわけでもなく、
若い学者を殺したと評判が立っても困る。
そこで左遷して、太鼓を叩く役人にした。
禰衡は少しも後悔する様子も恥じる顔色もなく、
角笛を柱にくくりつけて口をつけて吹く、すると変わった音色が出る。
振り鼓を振り回しながら太鼓を叩く、
聞いていると1人で叩いているとは思われない程である。
振り鼓とは、今でいうタンバリン、
禰衡はプップーと角笛を吹きつつ、タンバリンをリズミカルに振り、
太鼓を叩くという離れ業をやりこなしていた事になる。
消費カロリーが高そうな演奏方法だ。
正史には説明がないが、これが幻の打法漁陽參撾(ぎょようさんか)だろうか?
今で言うとチンドン屋のイメージが一番近いな