三国志には色んな人物が登場し、色んな出来事がありますね。もちろんそれは三国志演義でも同じです。
新しい人物が出てきたと思えば、色んな用語が出てきたりして……分からないことも多いと思います。そこで今回は三国志のとっても豆知識として、「避諱」について解説したいと思います。
この記事の目次
呉懿?呉壱?どっち?
まずちょっと紹介したいのが呉懿こと呉壱。
劉備に妹が嫁いでいることもあり、皇帝の外戚というこの人物。謎なことに伝が立てられていないのですが、この人物で謎なのは……どっち?という名前。
「呉懿の名前が呉壱になっている」「どっちが本当の名前なの?」「もしかして改名?」という風に、たまにこの人物について疑問の風が吹くことがあります。これこそが「避諱」なのです。
司馬宣王
ここで司馬懿についてもお話しましょう。司馬懿は本人は生前に皇帝にはなっていませんが、晋の時代が来た際に諡として宣帝とされました。諡というのは高貴な人を死後に奉る名前のことです。
そして「三国志」自体は三国時代に生まれた訳ではなく、司馬懿の孫(司馬昭と王元姫の子)にあたる司馬炎の時代にできたと言われています。つまり三国志の成立時には、司馬懿というのはただ三国志の登場人物の一人ではなく、皇帝のおじいちゃまです。もっというととてもとても高貴な雲の上の人です。
そんな人物の名前である「懿」の字を軽々しく使ってはならない、として使用制限がかかりました。呉懿の名前はこんな経緯から呉壱とされるようになったのです。これこそが「避諱」の一例です。
避諱について
さて例として司馬懿と呉懿の名前について出しましたが、もう少し詳しく説明していきましょう。中国では目上の人の諱、本名を呼ぶことはとても失礼なことです。このため古来から、特に皇帝、その祖先の諱を口にする、そして文字として書くことを避けるようになりました。これが「避諱」です。
この避諱に関しては、人名だけでなく地名までも改めるようにしたこともあり、時代によっては徹底されることもありました。
中国四大美女
と、ここで中国四大美女のお話をば。実は四大美女に当たる人物は西施、虞美人、卓文君、王昭君、趙飛燕、貂蝉、楊貴妃など結構いて、この中から四人を選んで四大美女と呼びます。
今回その中からもちろん三国志演義でも出てくる貂蝉……ではなく、王昭君のお話をしましょう。王昭君は紀元前1世紀頃の人であり、前漢の第10代皇帝元帝の後宮に入っていた大変な美人です。
王昭君は落雁美人とも呼ばれ、異民族の地に嫁ぐ途中で悲しみのあまり琵琶を掻き鳴らすその美しさと琵琶の苗に空を飛んでいた雁が次々と落ちてきたという言い伝えから来ています。
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