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この記事の目次
民間信仰に起因する関羽の神号
民間信仰から生まれた呼び名では「関恩主」や「恩主公」が有名です。「恩主」は人びとに対して恵みをもたらす存在で、南宋時代の名将である岳飛も「岳恩主」と呼ばれています。関羽、岳飛に三人の恩主を加えた「五聖恩主」として一緒に祀られることが多いです。
また、上記の他にも五名の学問の神様で構成された「五文昌」という信仰対象もあり、そこでは「文衡聖帝(文衡帝君)」と呼ばれています。道教では主に魔除けや厄除けの神様ですが、民間信仰における関羽はその武力で悪運を払うので商売繁盛の神様や財神として知られています。
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民間で親しまれている愛称
中国では関羽のことを名前で呼ばず、「関公(グァンゴン)」という尊称で呼びます。三国志平話や三国志演義でも一人だけ関公と記述されているように、古くから関羽は敬愛の対象だったようです。
この他にも「関老翁(グァンラオイエ)」という呼び方もあり、こちらも「関羽様」や「関羽のだんな」のような尊敬の念が込められた呼称です。
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関羽の爵位(諡号)
関羽は生前に漢寿亭候の爵位を与えられています。死後40年が経過した260年には劉禅から「壮繆侯」が贈られていますが、そこから暫くの間は追贈されることはありませんでした。
北宋の徽宗は軍事行動を起こすたびに追贈を行ったので、徽宗の代だけで「忠恵公」「崇寧至道真君」「武安王」「昭烈武安王」「義勇武安王」と数多くの諡号を贈っています。
三国志ライターTKの独り言
ここまで紹介してきたように関羽には数多くの異名があります。特に人気が高くなった後年には諡号や神号、民間での尊称が増えたため全てを把握するのが困難なほど数が多いです。あまり詳しい説明がないものも多いですが、関羽の異名にどんな背景があるかを調べると時代ごとの関羽像や当時の為政者の考え方に触れられるので、興味がある方は調べてみてはいかがでしょうか。
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