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光武帝締め出し事件のおかしさ
余りに驚いた記述なので二回も言ってしまいましたが、光武帝は皇帝です。そして前述したようにこの当時、市井では暗殺者が横行していました。
そんな中で「皇帝が言うこと聞かないから」という理由で(心中はお察しします)皇帝を締め出し、そして締め出された皇帝も皇帝で野宿したというのだからもうおかしい。こんなエピソードが残されているというのが、光武帝のおかしさなのです。
皇帝の記録というもの
基本的に、皇帝の言ったことややったことは記録されます。後の曹丕が皇帝になってからやたら蜜柑がすっぱいだ蜂蜜の甘さがくどいだ葡萄はおいしいとか残っているのも、ある意味皇帝だからこそです。
同時に、皇帝に都合の悪いことは消されることも多いでしょう。
しかしこの「光武帝夜中まで遊び歩き、部下に怒られるも聞かず、キレた部下が締め出して野宿事件」が記録として残されている……もうこれだけでおかしいですよね、色んな意味で。これもまた、光武帝の凄さです。
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光武帝との信頼(?)関係
個人的にこのエピソードは、部下と光武帝の信頼関係ができていたからではないかと思います。何せ暗殺者が横行する中で皇帝を締め出したのです。本来ならばこんなことを皇帝にする部下は処刑ものでしょう。
しかしそんな記録はない、つまり光武帝も、このエピソードを記録しちゃった人も、この行為を何ら問題としていないのが伝わってはきませんか?
つまり光武帝の時代にはそれだけ皇帝と配下に絆のようなものが生まれていたのではないか、と思うのです。だからこそこんなとんでも仰天エピソードが生まれ、そして記録として残されているのではないでしょうか?
いやもしかしたら「暗殺者に会っても光武帝なら何とかするから」とか思われていた可能性も無きにしも非ず、ですけどね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は光武帝の締め出しエピソードに注目してみました。正直、こんなことされる皇帝前代未聞でしょう。ですがそれが大問題ではなく、どこかお茶目さを感じさせるエピソードになっているのも、光武帝の凄さです。
スーパー皇帝であり、偉業を成し遂げた存在であり、そしてこのお茶目な部分もあり。いやあ光武帝、面白い存在ですね!
参考文献:後漢書光武帝紀上 光武帝紀下
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