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項羽相手の劉邦の戦績は負け続きのイメージ? 本当に72回敗れた?

2021年1月28日


 

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曹操から逃げ回る劉備

 

劉備(りゅうび)(しょく)の土地を得るまで負けが多くで、負ける度に立ち上がって来たある意味凄い人物です。

 

劉邦

 

ではその劉備のご先祖である(という設定の)高祖(こうそ)劉邦(りゅうほう)はどうだったのでしょうか?

 

張良 劉邦

 

劉邦もまた、ライバル項羽(こうう)に対して負け続けてばかりの戦績を持っているイメージはないでしょうか?

今回はこの劉邦の、項羽との戦績に付いて述べてみたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉邦の負け続きなイメージはどこから?

項羽と劉邦

 

基本的に、劉邦を取り扱った小説や漫画などの作品で、劉邦は負けてばかりいるという描写が多くなっています。このため「良く分からないけど劉邦は戦いが苦手なんだろう」というイメージを抱いている人も多いでしょう。

 

平清盛 鎌倉幕府

 

どうやらこのイメージは古くから日本でも認識されていたのか、平家物語(へいけものがたり
)
においても「項羽は劉邦と72回戦った。項羽は最後の一度以外全て勝った」という話が載っています。これらの印象が強くてどうも劉邦は負けてばかり……

 

というイメージが強くなってしまっているのでしょう。

 

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項羽の発言

項羽

 

また劉邦のライバル、項羽がやたら強かった……というのもその印象に一役かっています。同時に項羽にはとある発言

 

「私は70数回戦って負けなかった」

 

項羽

 

というのもあり、これは項羽の強さを印象付けていますね。しかし勘違いされがちですがこれはあくまで項羽の戦いの経歴であり、劉邦との戦いの事を意味しているのではありません。

 

劉邦と陳平と張良

 

ですがこの発言から「項羽は劉邦と70回以上戦って勝っているんだな」というイメージが付いてしまい、そこから劉邦が項羽に何度も破れたというイメージが付けられたのでしょう。

 

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72に意味あり?

劉邦と項羽

 

前述したように

 

「項羽は劉邦と72回戦った。項羽は最後の一度以外全て勝った」という通説があります。これにはいくつか派生がありまして

 

敗北し倒れている兵士達b(モブ)

 

「71敗して72戦目で勝利した」

「72敗したがその次の一戦で勝利した」

 

という少々の違いがあるものの、キーになるのは「72」という数。この72という数字、実は古代中国ではとても大切な数字であり、劉邦自身にも関係してくる数字なのです。

 

劉邦の体の一部に72の傷

劉邦

 

「劉邦はそのボディに選ばれし72の傷を持っていたのだ!」

 

髀肉の嘆の劉備

 

……というのはジョークですが、実は劉邦には体のある場所に「72」があったと言われています。それは太もも、思えば劉備も太ももに贅肉が付いて嘆いていましたので、これはちょっとした共通点。

 

しかし劉邦の太ももにあったのは贅肉ではなく……ほくろ!

 

サッカーボールを蹴る劉邦

 

なんと72ものほくろがあり、しかもそのほくろと同じ数だけ項羽と戦って勝利をして天下を取った……というカッコいいのか何なのかコメントに困る伝承が生まれてしまったのですね。しかし72はただほくろの数というだけではありません。

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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