劉備は蜀の土地を得るまで負けが多くで、負ける度に立ち上がって来たある意味凄い人物です。
ではその劉備のご先祖である(という設定の)高祖、劉邦はどうだったのでしょうか?
劉邦もまた、ライバル項羽に対して負け続けてばかりの戦績を持っているイメージはないでしょうか?
今回はこの劉邦の、項羽との戦績に付いて述べてみたいと思います。
この記事の目次
劉邦の負け続きなイメージはどこから?
基本的に、劉邦を取り扱った小説や漫画などの作品で、劉邦は負けてばかりいるという描写が多くなっています。このため「良く分からないけど劉邦は戦いが苦手なんだろう」というイメージを抱いている人も多いでしょう。
どうやらこのイメージは古くから日本でも認識されていたのか、平家物語においても「項羽は劉邦と72回戦った。項羽は最後の一度以外全て勝った」という話が載っています。これらの印象が強くてどうも劉邦は負けてばかり……
というイメージが強くなってしまっているのでしょう。
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項羽の発言
また劉邦のライバル、項羽がやたら強かった……というのもその印象に一役かっています。同時に項羽にはとある発言
「私は70数回戦って負けなかった」
というのもあり、これは項羽の強さを印象付けていますね。しかし勘違いされがちですがこれはあくまで項羽の戦いの経歴であり、劉邦との戦いの事を意味しているのではありません。
ですがこの発言から「項羽は劉邦と70回以上戦って勝っているんだな」というイメージが付いてしまい、そこから劉邦が項羽に何度も破れたというイメージが付けられたのでしょう。
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72に意味あり?
前述したように
「項羽は劉邦と72回戦った。項羽は最後の一度以外全て勝った」という通説があります。これにはいくつか派生がありまして
「71敗して72戦目で勝利した」
「72敗したがその次の一戦で勝利した」
という少々の違いがあるものの、キーになるのは「72」という数字。この72という数字、実は古代中国ではとても大切な数字であり、劉邦自身にも関係してくる数字なのです。
劉邦の体の一部に72の傷
「劉邦はそのボディに選ばれし72の傷を持っていたのだ!」
……というのはジョークですが、実は劉邦には体のある場所に「72」があったと言われています。それは太もも、思えば劉備も太ももに贅肉が付いて嘆いていましたので、これはちょっとした共通点。
しかし劉邦の太ももにあったのは贅肉ではなく……ほくろ!
なんと72ものほくろがあり、しかもそのほくろと同じ数だけ項羽と戦って勝利をして天下を取った……というカッコいいのか何なのかコメントに困る伝承が生まれてしまったのですね。しかし72はただほくろの数というだけではありません。
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