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張遼はなぜ決死隊800名を助ける必要があったのか?

2021年5月2日


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決死隊800名(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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張遼の病気を心配し太医の馬車に群がる800人

司馬亮を気遣って兵士たちが扇で仰ぐ

 

黄初(こうしょ)二年(221年)孫権がまた王を自称したので、張遼は雍丘(ようきゅう)に駐屯しますが、ここで、長年の無理が祟ったのか病気に罹ります。

 

劉曄

 

曹丕は侍中の劉曄(りゅうよう)と太医を派遣して手厚く見舞いますが、この時、虎賁になっていた、かつての張遼の部下800名は、張遼の病気を心配し道路に連なって劉曄と太医の馬車が戻って来るのを待っていたそうです。

 

週刊誌を楽しみにするkawauso様

 

すでに、所属も違い、直属の配下でもなくなった800名ですが、合肥の戦場で命懸けで自分達を救ってくれた張遼の事を忘れず、こうして病気を心配して集まって来たんですね。

 

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一度は回復するが江都で病死

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

虎賁たちが大勢で自分の病状を心配した事について、張遼がどう思ったのかは残念な事に張遼伝に記録があいりません。

 

呂範

 

しかし、張遼は、曹丕の派遣した医療スタッフの手厚い看護もあり回復し、洞口(どうこう)の戦いでは呂範(りょはん)を攻撃するなどして数千人の呉兵を溺死させるなど奮戦。

 

呉お正月企画、お酒にまつわる逸話07 孫権

 

孫権は、張遼恐怖症が甦り、

「張遼は病気だとはいえ油断ならん、見くびらずにしっかり備えよ!」と部下に対して注意を呼び掛けています。ところが、病み上がりで戦ったのが悪かったのか、張遼は戦後すぐに病が重くなり江都で病死しました。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

三国志の頃の兵士と指揮官の関係は大抵ドライなものです。特に魏は早期に正規軍が整備され傭兵団が廃された関係から、兵士たちは割符を持っている将軍に事務的に従うという傾向が強くなりました。

 

敵を相手にして奮闘する張遼

 

将軍個人にではなく、魏王朝に忠誠を尽くすように関係性が変化していったのです。その為、張遼と決死隊800人のように、特定の将軍の所属を離れた後も部隊の動向が分かるケースというのは、そんなに多くありません。

 

高順と張遼

 

少なくとも張遼にとって部下は消耗品ではなく、共に生き共に死ぬ関係だったという事であり、その心意気が部下にも伝わり、張遼を名将に押し上げていったのかも知れませんね。

 

参考文献:正史三国志張遼伝

 

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呂布

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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