孫権の最期、怪しい予言者に騙されたってホント?

2021年5月8日


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孫権の最期(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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皇后潘氏が殺害される

洛陽城

 

太元二年(252年)正月、孫権は二宮の変の処分を少し変更。元の皇太子の孫和を南陽王として長沙に置き、子の孫奮(そんふん)を斉王とし武昌に置き、さらに子の孫休(そんきゅう)を瑯邪王として虎林に置きました。

 

2月には、再び大赦し、改元して神鳳とします。しかし、孫権が皇后に立てた孫亮の生母、潘氏が宮廷の人間に殺害されました。不安を感じた諸々の将軍や官吏は、しばしば王表に詣でて福を授けてくれるように要請しますが、王表は呉の大乱を予感したのか逃亡してしまいます。

 

こうしてみると王表はやはり、混乱の世の中に乗じて富を得ようとするインチキくさい、予言者や食わせ物の類だったのかも知れません。この混乱の中で4月、孫権が71歳で死去します。不穏な雰囲気が漂った状態での孫権の寂しい最期でした。

 

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孫権は神人に惑わされなかった

忙しい方にざっくり解答02 kawausoさん

 

ここまでが最晩年の孫権の行動ですが、神人王表を歓迎した割には屋敷を建て、時々御馳走を持たせて色々な予言をさせただけで、国政に関与させて国庫を傾けるような、痛い盲信はしていない様子が窺えます。

 

もし、死の不安から不老不死の執念に憑りつかれていたなら、もっと散財して国を混乱に陥れた後で王表に逃げられ、はい!騙されました。

 

ぎゃふん!

 

みたいになりそうですが、そうではないので、ある程度自分の死期を受け入れた上で、神人の予言を聞いていたようです。

 

それ以外では、大赦や改元が頻繁になっていますが、国力の低下を憂いて、少しでも人民を休ませ、孫亮の時代が穏やかに進むように考えたのでしょうか?

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回は孫権の最晩年について、色々と考えてみました。神人を招聘したあたりで、ありもしない不老不死や予言に縋るかと思ったのですが、老害化したとはいえ、半世紀も呉を牽引しただけあり、胡散臭い連中への距離の取り方の感覚までは、失っていなかったようです。

 

後世から老害と決めつけられる孫権ですが、最晩年に至っても怪しげな予言者を信じて呉を傾けるまでには至っていないので、老害なりにギリギリのバランスは保っていたと考えられます。

 

参考文献:正史三国志呉主伝

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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