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イギリスが7つの海を支配出来たのは「信用」のお陰だった

2021年5月9日


 

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軍艦(明治時代)

 

イギリスが過去に無敵の海軍を保有し七つの海を支配した海洋帝国であった事はよく知られています。しかし、イギリスは常に独り勝ちだったわけではなく、17世紀には新興国オランダ、18世紀には大陸国フランスという強力な競争相手が存在していました。

 

一体、イギリスはどうやって、これらのライバルを出し抜いて世界の覇者になったのでしょうか?

実はイギリスを世界の覇者にしたのは「信用」のお陰だったのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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国債で海軍を強化したイギリス

キャラベル船(世界史)

 

オランダやフランスのようなライバル国を蹴落としイギリスを世界の覇者にしたのは、強大な海軍力でした。19世紀初頭、最新鋭だった3本マストのキャラベル船は、100門以上の大砲を積み込む事が出来ましたが、イギリス海軍は大量のキャラベル船を建造し圧倒的火力でライバル国の海軍を沈黙させたのです。

 

ただ、キャラベル船は1隻10億円もする高価なもので耐用年数も長くて40年でした。おまけにイギリスでは18世紀以前に軍艦を建造できるような森は消滅していたので、木材をスウェーデンや北米からの輸入に頼っていて輸送コストも嵩んでいました。

 

ここで疑問が湧いてきます。そんな高価なキャラベル船をどうしてイギリスは備える事が出来て、ライバル国は備えられなかったのでしょうか?

 

その理由はイギリス政府が大量に発行していた国債にありました。イギリスは国債を大量に発行して世界中の投資家から資金を集め巨大な海軍を保持していたのです。

 

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名誉革命がイギリスの国債を低金利にした

みずほ銀行風

 

しかし、いくら国債で軍資金を調達したとしても、同じような国債はオランダにもフランスにもありました。それなのにどうしてイギリスだけが国債での資金調達に成功したのでしょうか?

 

それは、イギリス国債の金利が5%以下と低い状態にあった事が原因です。当時の欧州各国の国債の金利は10%以上がザラであり、国債を発行したはいいものの、多額の利払いにより財政が火の車になりました。

 

それを考えると迂闊に大量の国債を刷る事は不可能だったのです。ところが、イギリス政府の国債は5%程度という低金利ながら市場では大人気で、飛ぶように売れていきました。では、どうしてイギリスの国債金利は低いにもかかわらず購入する人が多かったのでしょうか?

 

それは、イギリス政府が健全な財政運営で財政破綻とは無縁の国であった事が影響していました。当時の欧州各国ではデフォルト(債務不履行)は当たり前に起きていて、だからこそ、10%以上の金利をつけないと国債は売れず、資金調達の方法としては悪手になっていたのです。

 

では、イギリスは、どうしてデフォルトを起こさない信用の高い国になったのでしょう?

そこには1688年の名誉革命が影響していました。

 

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名誉革命以前のイギリス

塩が途切れて白旗を挙げるイギリス海軍の帆船

 

実は1688年の名誉革命以前のイギリスの国債金利は他の欧州諸国並みに10%を超えていて、当時のイギリス王室(スチュアート朝)は、度々国債を発行してはデフォルトを起こし、支払いを停止していました。

 

例えば1671年、イギリス国王チャールズ2世は債権の利子と元金の支払いを停止。政府発行の債権を引き受けて資産家に小口で販売していたロンドンの金融業者は致命傷を負います。

 

当時のイギリス王室が度々債務不履行を起こしたのは、財政が脆弱である事も考えずに、国王が徴税権を駆使して思うままに課税したり国債を発行したせいでした。そもそも1649年の清教徒革命(せいきょうとかくめい)にしても、チャールズ1世がイギリス海軍強化の為に軍艦が必要だと船舶税を課して貴族と金融業者の反発を買ったのが大きな原因だったのです。

 

厳しい共和政を経て、ピューリタンの厳格さにうんざりしたイギリス人は大陸に亡命していた国王チャールズ2世を迎え入れ王政復古を選択しました。

 

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名誉革命で徴税権は議会に移った

国会議事堂

 

しかし、スチュアート朝の国王達は自分達が追放された理由を学習していなかったようでチャールズ2世の子のジェームズ2世は、父に輪を掛けて徴税権(ちょうぜいけん)を行使し暖炉税など手あたり次第課税して貴族や議会の猛反発を受け、1688年に名誉革命が起きてジェームズ2世は追放されます。

 

こうして勝利したイギリス議会は、オランダからオランダ総督、オラニエ公ウィレムを新しい国王ウィリアム3世として迎え入れます。

 

そして、

  1. 国民に税金を課す時には議会の承認を得る事
  2. 国民の財産を一方的に奪わない事

などの誓約書に署名させました。

 

かくして徴税権は国王から議会の手に移行し、以後のイギリスは国家財政を厳しく管理、運営するようになり、デフォルトを起こさなくなりました。また歴代国王も、思いつき課税や国債発行をすれば革命になる事を痛感し、二度と徴税権を振りかざす事は無かったのです。

 

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名君ウィリアム3世

 

清教徒革命によりイギリス国王ウィリアム3世になったオラニエ公ウィレムは、当時世界一進んだ金融システムを保有していたオランダの総督でした。そこでウィリアム3世は14000人の兵士ばかりでなく、数万人の技術者と多数の金融関係者まで引き連れてきていました。

 

この変化にイギリスの金融市場は敏感に反応し、1690年には10%だったイギリス国債の金利が1702年には一気に6%に低下、その後も金利は下落し1755年には2.74%の超低金利を記録します。

 

この低金利によりイギリス陸海軍は豊富な軍資金を元に火薬を使用した実弾訓練を実施し、実戦投入の前からある程度の練度の軍隊を保有する事が可能になりました。資金不足の欧州の軍隊では戦争が始まってから訓練する事もザラなので、少なくともイギリスは戦争の序盤で敗退する事がなくなり敵軍よりも優位に立ちます。

 

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ナポレオン相手に補給で勝つイギリス軍

退却する敵軍を全滅させる冷酷なナポレオン

 

豊富な軍資金は軍隊の補給にも影響を与えました。

 

ナポレオン戦争時のフランス軍が食糧を現地調達に頼っていた時、イギリスのウェリントン将軍率いるイギリス軍は、スペインで独立運動を起こしていたゲリラに食糧を配る事が可能だったそうです。

 

こうしてイギリスは豊富な物量に支えられ、戦況が自国に有利になるまで待ってフランス軍と戦う事で勝利を重ね、遂にはフランス本土に攻め込んでナポレオンを退位させる事に成功しました。

 

島流しにあうナポレオン

 

一見、何の関係もなさそうな国家と信用ですが、イギリスは財政を健全化する事で国債の信用を高めて金利を低下させ、圧倒的な資金力でライバルを蹴散らして世界の覇者へとのしあがっていったのです。

 

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世界史ライターkawausoの独り言

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イギリスは人口で大陸国のフランスに遠く及ばず、1人あたりの国民所得では勝利していたものの1780年代末の国民総生産ではフランスに2倍以上の差をつけられていました。

 

しかし、財政を議会が握って健全に運営する事で債務不履行を無くし、それがイギリス国債に対する信用となり、低金利での資金調達が可能になったのです。

 

こうして考えると個人でも国家でも信用って大事なものだと痛感しますね。

 

参考文献:そのとき「お金」で歴史が動いた 文響社

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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