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司馬乂とはどんな人?八王の乱では唯一の希望だった王

2021年5月9日


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司馬乂とはどんな人(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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司馬乂、悲運の最期

司馬乂を頼もしく思っている味方の軍

 

年が明けても連合軍は司馬乂を打ち破れず、半数近くもの被害を出していました。圧倒的苦境を覆しまくる司馬乂の存在は兵士たちにとって正に一つの巨星のような存在であり、兵士たちは異様なほどの士気の高さで戦っていたのです。

 

捕らわれた際に司馬衷に上奏文を送る司馬乂

 

これと戦わなければいけない連合軍・張方(ちょうほう)は既に撤退を考えていたのですが、ここで動いたのが東海司馬越(しばえつ)。洛陽の状態から戦い続けることはできないと判断して、密かに司馬乂を捕縛、監禁しました。

 

降伏しようとしていた張方もこれにはびっくり、降伏してしまった司馬越側もびっくり。ここで洛陽側では「司馬乂にもう一回出てきてもらえば戦えるんじゃないか」という空気が漂い始めます。これを察した司馬越は張方に密かに連絡を取ります。

 

生きたまま焼き殺される司馬乂

 

司馬乂は生きたまま、焼き殺されました。享年28歳、正に八王の乱の被害者の一人として終わりを迎えたのです。

 

英雄の死因

 

司馬乂という人物

明朗な性格、才気に溢れ、謙虚で人望が厚く、恵帝にも心から仕えた司馬乂

 

司馬乂は明朗な性格、才気に溢れ、謙虚で人望が厚く、恵帝にも心から仕えた人物と記されています。

 

粛清を繰り返す賈南風

 

八王の乱自体は皇后・賈南風がやりたい放題をやったことで始まりましたが、その際にも夫であり、皇帝であるはずの恵帝・司馬衷はされるがままでした。しかしその恵帝・司馬衷が唯一、自分の意見でもって周囲に飲まれることなく味方した人物です。

 

陰謀野望渦巻く八王の乱では生き残れなかった司馬乂

 

そのことからも、周囲に与える影響力の強い人間だったと窺い知れますね。だからこそ周囲からすると「取り除かなければならない人間」だった、と思うと、何とも皮肉。

 

正義の鉄槌を食らわす司馬乂

 

もしも彼がここで命を奪われることなく生き続けていたら……もしかしたら晋王朝はもっと続いていたのでは。そう思わせる、ある種の「希望」であったと思います。

 

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司馬乂、最期の手紙

捕らわれた際に司馬衷に上奏文を送る司馬乂

 

司馬乂は最期、捕らわれた際に恵帝・司馬衷に上奏文を送りました。その中には、こういう一文があります。

 

司馬乂は恵帝・司馬衷に良く忠誠を誓う

 

「私は命など惜しくはありませんが、ただ、晋が衰退してしまうことを憂いております」

 

司馬乂の手紙は自らの保身もなく立派な手紙だった

 

そこには自らの保身はありませんでした。保護を求めてもいませんでした。ただ恵帝の身を案じ、衰弱していく晋王朝、父・司馬炎の作り上げた国の行く様をただ憂いた思いだけがありましたもしかしたら彼はこんな世ではなく、三国時代に生まれていた方がもっと輝けていたのかも、しれません。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

八王の乱のメンバーは何とも言い難いメンバー揃いですが、その中でも司馬乂は異彩を放っています。

 

三国志を語るセンさん

 

ただその存在は陰謀野望渦巻く時代では、生き残れないものでした。存在だけで士気を保てる人物は、寧ろ戦乱の世の中の方が輝けていたのかもしれませんね。

 

センさんが三国志沼にドボン b

 

もうちょっとだけ続く八王の乱、次回も更なる深みへ……とぷん。

 

参考文献:晋書列伝第十 列伝第二十九

 

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八王の乱

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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