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劉備を見定める程昱
その程昱、劉備を早くから危険視していました。劉備が曹操の元にいた際には劉備を今の内に殺すように進言するも、曹操は聞き入れず。
後に孫権の元に劉備が行った際には孫権は劉備を殺すだろうという話が上がるも、程昱は「孫権は謀を持っている、もはや劉備は殺せない」と言ったといいます。
この後に起こるのが赤壁の戦いです。
時勢を見定め曹操に付いた程昱は、劉備という人物をも見抜いていたということでしょう。時勢と人を見極め、自分の守るべきものを守り、引くべき時をも知る。それが程昱という人物の、凄さ、なのでした。
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強情なおじいちゃん
そんな程昱ですが生まれは141年、曹操が兗州にやってきた時は192年ですから、既に50代です。また生き様をざっくり見ていると冷静かつ落ち着いた人物にも見えますが、その性格は強情で他人によく逆らい、敵が多かったのか「程昱は謀反を企んでいる」とまで言われたことがありました。
しかしそれでも尚曹操は程昱を疑わず、信頼していました。曹操と出会った際には既に老年であり、表舞台にはそれほど出てこなかった程昱。もしもっと若かったら……更なる活躍をしていた人物ではないかと思いますね。
三国志ライター センのひとりごと
程昱には曹操が食糧難に苦しんでいるということで、自分の領土から略奪、その物資の中には……人肉も入っていたという信じがたいような話が正史の注に乗っています。信ぴょう性はさておき、そんな話が出るということを見ると、結構周囲からは嫌われていた人物であったのかもしれんませんね。
しかし性格はどうあれ程昱は間違いなく曹操の土台を支えた人物。寧ろそんな人物だったからこそ曹操の基盤を築けたのではないかと思うと……
やはり三国志は面白いなぁ!どぼーん。
参考文献:魏書程昱伝
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