曹操は何でもできる、と言える人物ですが、最初からパーフェクト負けなし挫折なしにその道を歩んできたわけではありません。いくつも苦難があり、そしてその苦難を支える人物たちあってこそ、曹操という人物が作り出されているのです。
今回はそんな曹操を支えた人物、中々面白い人物でもある程昱の凄い所をご紹介していきましょう。
最初は「立」だった
程昱は身長が190㎝もある人物でした。因みに190㎝が良く分からない人は自動販売機の高さが大体180㎝ちょっとなので、お近くの自動販売機を見て頂ければ程昱の身長を身近に感じられます。
そんな程昱の名前は嘗て程立でした。程昱は若い頃に泰山に登って太陽を両手で挙げるという夢をよく見たといい、その話を荀彧が曹操にした頃、曹操から「立に日を付け加えると良い」と言われて程昱となったのです。
時勢への冷静さ
そんな程昱は最初から曹操の部下だった訳ではありません。
ある時、程昱の住んでいた兗州の刺史・劉岱が程昱を招きましたが、これには応じませんでした。
後に袁紹と公孫サンが争うようになると、悩んだ劉岱は程昱を招いて相談し、程昱は袁紹に付くように勧めます。しかし劉岱に付くことはなく、その後、劉岱が戦死すると兗州は曹操のものになります。
ここで程昱、曹操に何かを感じ取ったのかその招集に応じ、部下となります。劉岱に付かず、曹操には付いたその時勢を見極める目は、後に劉備を見定めることになります。
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閑話休題
ちょっと余談ですが、劉岱の字は公山と言います。そしてこの姓、名、字にまで同姓同名の者が三国志に出てくるので、大変ややこしいことでも有名です。
またこの岱という字は、泰山を意味するとも言われ、程昱は嘗て泰山に登って日を掲げる夢を良く見ていました。そう考えると、もしかしたらこの夢は劉岱という泰山を乗り越え、曹操を仰ぐという意味だったのかもしれません。
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帰る場所を護る
さて曹操の徐州征伐の際、呂布が動きます。この際にケン城、范、東阿の三城以外は皆呂布に呼応しました。この時にケン城にいたのは荀彧、程昱の二人。
後世の人から見れば抜群の安定感を誇る二人が残されていますが、当時の曹操としては生きた心地がしなかったでしょう。しかし程昱、そして荀彧らは協力してこの三城を護り、曹操は帰る場所を失わずにすんだのです。
曹操は程昱に深く感謝し「お前がいなければ帰る場所を失っていただろう」と喜んだと言います。
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袁紹との戦いと終わり
後に曹操は袁紹と戦うことになりますが、この戦いを決意させたのも程昱です。袁紹に従属しそうになる曹操を諫め、袁紹との戦いでいくつもの功績を挙げ、曹操を勝利へと導きました。
しかし、その後のある時、曹操は程昱に言います。
「昔、兗州でお前の言う事を聞かなかったら今の自分は無かっただろう」
その言葉を聞いた程昱は「満足を知っていれば恥を受けることはない」と語り、そこで引退をしたと言います。とは言えそれ以降も魏の重職には付いており、曹操廟の功臣三名として真っ先に名が刻まれる人物でもありますが……。
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