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袁術の活躍ポイント
因みに袁術、負け一辺倒ではありません。
公孫サンが袁紹に怨みを持っていることを利用して袁紹と敵対させたり、劉表と敵対した際には孫堅を向かわせて敗北するも、その軍勢を取り込んだり、呂布と劉備を対立させたりと、中々の手腕を見せてくれます。
その一方で徐州侵攻という躓いてはならないポイントで躓きに躓いて転落しちゃっていくのが我らがハチミツ皇帝さまなのですが……うーん。
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皇帝を諦めきれなかった?
袁術が皇帝を名乗ったのは197年のお正月ですが、どうやらその二年前から袁術は皇室の権威失墜を理由に自らが皇帝を名乗るべきだと考えていたようです。
しかしこれは臣下の大反対にあい、取り敢えず諦めました。ですがそこで諦めきれなかったのが袁術だったのでしょう。
結局二年後には皇帝を名乗り、周囲を敵に回し、孫策も離反、地元で重税をかけて足元をボロボロにした所で曹操にぼこぼこにされて……最終的に袁術はこの時代から脱落します。
落ち目から勢いで皇帝を名乗って、そこからすごい勢いで落ちていく、どうにもそんな印象が付いてしまった袁術という存在。
「ここで皇帝を名乗っていなければ天下が取れた」とは言いませんが「既にかなり詰んでいる中で皇帝僭称という最大の悪手を選んだ」というのが袁術であると思います。
……寧ろ上手く立て直したら三国志のヒーローの一人になれたかも?そんな未来を予測する面白さがあるのも袁術なのかもしれませんね。
擁立からの禅譲
因みに袁術のようにならないために、皇帝の擁立、そこから禅譲、という手段を取るのがポイントです。しかし袁術はそれができなかった。
皇帝を擁立できなかった段階でかなり決め手を失っているのに、うっかりそこから自分で皇帝名乗っちゃった上に敗北を重ねてしまうという大失敗。
とはいえそんなちょっとわけわからないことをしちゃったからこそ、後の世で「袁術ってなんか面白い」って言われてしまうのがハチミツ皇帝・袁術なのでしょう!
三国志ライター センのひとりごと
歴史の一幕としてみれば、袁術は時の皇帝への反逆者であり、敗北者の一人です。しかしそんな敗北者の一人だけで終わらず、ある意味で自らその道を邁進したのが袁術ではないでしょうか。なので決して魅力あふれる人物ではないのに、度々見返してしまうのが袁術だと思います。
そんな「よくわからないけど面白い」皇帝、袁術。皆さんも不意に思い出して新しい袁術沼にハマってみて下さいね。
どぼん!
参考文献:魏書袁術伝 魏書武帝紀
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