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改めて確認したい、皇甫嵩の凄さ

2021年6月29日


 

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三国志演義_書類

 

三国志は漢の後の時代であり、三国志の初期には後漢書に名を連ねる人物も多数出てきます。しかし三国志演義などのイメージがあるのか、彼らに注目されるのは少ないのが寂しい所。

 

霊帝に罰するよう進言する皇甫嵩

 

そこで今回は後漢の人物でもある、皇甫嵩(こうほすう)という人物をご紹介します。彼は改めて見ていくと三国志時代の人物と比べても遜色ない人物ですので、この機会にぜひ知ってみて下さい。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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皇甫嵩という人物

三国志を楽しく語るライターセン様

 

皇甫嵩は涼州(りょうしゅう)の出身であり、曾祖父は度遼将軍(とりょうしょうぐん)、祖父扶風都尉(ふふうとい)を務めた名門の出身です。その才能は若い頃から評価され、学問、武術、馬術にせいを出していたことを評価されて推挙されたのですが、運悪く父が亡くなったことでこの話を断りました。

 

後に霊帝(れいてい)の公車により招聘(しょうへい)されるまで要職に就くことはなく、その才に比べてあまり明るくない時代を過ごします。

 

黄巾の乱が始まる

暴れまわる黄巾賊

そんな彼が大活躍し、脚光を浴びたのが黄巾(こうきん)の乱でのこと。朝廷によって左中郎将に任命され黄巾族討伐に向かわせるも、与えられた兵士は約四千人ほど、ここで義勇軍を募って四万人ほどに増えますが、相対する黄巾賊、波才の率いる軍は十万。

 

黄巾賊を撃破する皇甫嵩

 

しかしここで彼の才能とどっかで見たような天気予報パワーが輝きます。波才(はさい)軍に包囲された皇甫嵩は火計を行うことを提案し、しかも彼が敵軍に火を放つやいなや強風が吹いて波才軍を退けました。

 

黄巾賊を退治する曹操

 

この後、まだ名を挙げる前の曹操(そうそう)と合流して波才を破り、都郷侯に封じられた後も黄巾党軍を順調に破っていきます。

 

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黄巾賊

 

冀州刺史

黄巾賊を率いて暴れまわる何儀(かぎ)

 

その頃、冀州(きしゅう)では黄巾賊が戦線を押していました。そこに向かわされたのが皇甫嵩、最初こそ黄巾賊に後れを取るも、敵の油断を見抜いてこれを攻め、張梁(ちょうりょう)を破り、討ち取った数は三万とも言われています。

 

 

また既に亡くなっていた張角(ちょうかく)の棺も手に入れ、後に張宝(ちょうほう)も敗北したことで黄巾党は瓦解します皇甫嵩たちは最終的に十万近い首を挙げたともされ、事実上皇甫嵩がその軍団に止めを刺したとも言えるでしょう。

 

これによって皇甫嵩は左車騎将軍に任命、冀州刺史を領し、槐里(かいり)侯に封じられました。その後は冀州の統治を行っていきます。

 

あの人に帝位まで勧められた

三国志 兵糧攻め 村人

 

冀州統治において皇甫嵩は、冀州の税金の一年分を戦乱によって困窮した民に与えました。これに民たちは大喜びし、皇甫嵩を称える歌まで作っています。民を大事にした皇甫嵩は部下である兵士卒たちも大事にしたことで信頼厚く、その名声を聞きつけたのが閻忠(えんちゅう)という人物です。

 

「You!皇帝になっちゃいなよ!(超意訳)」

 

しかし皇甫嵩はこれを聞き入れることなく、あくまで漢の一臣下でい続けました。

 

賈ク

 

因みにこの閻忠、若い頃の()クの才能を見抜いて「張良(ちょうりょう)陳平(ちんぺい)に並ぶ人物」とまで評価した人です。そんな人にここまで言われたのですから、皇甫嵩の才は相当なものだったでしょう。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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