劉備が「一国一城の主」になれた理由を考察!




はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

食客に成り下がる劉備

 

「三国志」の主役の一人「劉備(りゅうび)」は「曹操(そうそう)」「孫権(そんけん)」と違い、名門あるいは豪族の出身ではありませんでした。しかし、のちに荊州(けいしゅう)で初めて「一国一城の主」になり、ついには「蜀漢」を立ち上げ、三国の一角を担うことになるのです。

 

二刀流の劉備

 

そんなスタートダッシュに成功したとは言えない劉備がなぜ「一国一城の主」になることが出来たのでしょうか?

この記事では考察していこうと思います。




劉備の生まれと、世に出たきっかけは?

靖王劉勝の子孫と勝手に名乗る劉備

 

劉備は一応漢の王族の子孫、という事になっていましたが、真相は不明です。彼は幼くして父を亡くし、母と二人で裕福とは言えない生活を送っていました。

 

蜀の劉備

 

そしてあまり学問は好まず、仁義を大事にし、困った人を助ける「任侠」(ヤクザとは違う)の道に進みます。

 

劉備

 

劉備の元には彼を慕って多くの若者が彼の配下になったそうです。劉備が「黄巾(こうきん)の乱」で挙兵した際は、多くの寄付が集まったそうで、彼の人望はかなり高かったことが想像できますね。




劉備、各地を転々とする

劉備と公孫瓚

 

劉備は挙兵後は領土も持たず、様々な軍勢の元を転々とすることになります。先ずは「公孫瓚(こうそんさん)」の元に身を寄せ、続いては「陶謙(とうけん)」「袁紹(えんしょう)」そして「劉表(りゅうひょう)」を頼ります。

 

公孫瓚と劉備

 

いずれも後に滅ぶ勢力なのが悲しいです。ただ、ここまでいろんな勢力に迎え入れられることが出来た、という事は劉備軍団はかなり軍事力に優れ、便利な存在だったという事が想像できますね。

 

蜀の劉備

 

劉備はただフラフラしていたのではなく、各地の戦で着実に戦功をたて、名声を高めていたと考えられます。また、劉備の「任侠」の精神が軍団の結束を高め、少しでも軍勢が欲しい領主たちにとって「傭兵集団」としての価値も高かったのでしょう。

 

劉備と曹操

 

そうして世間の劉備に対する評判が高まったことから、当時の実力者「曹操」が彼を警戒し、劉備は荊州まで逃げることになってしまいます。

 

関連記事:食客とは何?才能のある人物を客として遇して養うメリットとは?

関連記事:劉備が勉強しなかったのは理由があった!

 

【劉備の兄貴分の真実の姿を大紹介】
公孫瓚特集

 

ついに一国一城の主に!

三国志の主人公の劉備

 

劉表の元で劉備は「新野県(しんやけん)」を与えられ、ここでついに「一国一城の主」になることが出来ました。当時の荊州は中央の戦乱とは無縁であったため、劉表は迫る戦乱を防ぐため、劉備を盾とすべく城を与えたのでしょう。

 

龐統と孔明を手に入れた劉備

 

ここで劉備は力を蓄えることが出来ました。また、当時の荊州は戦乱を逃れてきた知識人が多く滞在していましたが、劉備はそんな人たちからも注目されていました。

 

なぜ劉備が推されたのか?

蜀の皇帝に即位した劉備

 

後に劉備は蜀の地を得て、ついに皇帝に即位することが出来ました。なぜそこまで到達することが出来たのでしょうか?

 

劉備を警戒する王粲

 

先述のとおり、荊州には知識人が多く滞在していました。彼らは少しでも有為な君主に仕え、自分も名誉などを得たいと考えていました。そこで白羽の矢が立てられたのが劉備です。

 

曹操にコテンパにされる袁紹

 

当時、曹操は袁紹を撃破し、中原(中国の中心地)を制圧し天下に近づいていました。また、孫権も呉地方で確固たる勢力を築いています。

 

劉璋(りゅうしょう)

 

残る地は荊州と益州(えきしゅう)ですが、そこを根拠地とする「劉表」「劉璋(りゅうしょう)」は頼りない人物でした。その為、当時名声が高かった劉備に知識人たちは注目したのです。

 

劉備を支援する麋竺

 

劉備なら「曹操」「孫権」に対抗できると考え、劉備を押し上げたのでしょう。劉備はその期待に応え、益州荊州を奪い、帝位につくことが出来ました。彼の各地での流浪は、名声を高めるための重要な時間でした。

 

劉備の「一国一城の主」に貢献した男

徐庶

 

劉備の「一国一城の主」に最初に貢献したのは「徐庶(じょしょ)」という人物です。彼はもともと「任侠」の世界に生きる人で、人の敵討ちに助っ人として参加するような人物でした。

 

剣を持って戦う徐庶

 

しかしのちに学問にめざめ、荊州の名士と交流するようになります。徐庶はあるとき劉備と面会し、意気投合することになり、徐庶はあの「諸葛亮(しょかつりょう)」を推薦します。

 

新解釈・三國志 三顧の礼に秒で答える孔明 孔明、劉備

 

そして劉備は諸葛亮を配下に迎え、「天下三分(てんかさんぶん)の計」(中国を曹操、孫権、劉備で三分すること)を実現することになるのです。劉備が雄飛するのにもっと貢献したのがこの徐庶と言えるでしょう。

 

人質にされる徐庶の母親

 

しかし徐庶はのちに母が魏の捕虜になってしまったため、やむを得ず劉備の元を去ることになってしまいました。

 

【武勇・知謀を持ち合わせた有能軍師・徐庶】
徐庶特集

 

三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

まとめてみると劉備が「一国一城の主」となれた理由は「傭兵集団の主として評価が高かった。しかし主が次々に滅んでしまい、独立のチャンスが無かった。

 

悪役の曹操、正義の味方の劉備

 

最後に流れ着いたときには曹操と孫権が確固たる地位を築いており、対抗できそうなのは劉備しかいなかった。なので自分を売るチャンスをうかがう人々が劉備を押し上げた。」といったところでしょうか。劉備の若いころからコツコツ築き上げた信頼が国を持つことが出来たのです。

 

関連記事:晩年の劉備は嘆くこともできなかった?現代にも通じる嘆きと髀肉の嘆

関連記事:劉備が大勝利した博望坡の戦いを語ろう

 

覇を競う乱世に新たな秩序を打ち立てた曹操の生涯
曹操孟徳

 




関連記事

  1. 朝まで三国志 劉備
  2. 劉琮
  3. 酔いつぶれる劉備玄徳
  4. 土いじりをする劉備
  5. 曹操から逃げ続ける劉備
  6. 劉備を支援する麋竺

コメント

  • コメント (4)

  • トラックバックは利用できません。

    • 月友
    • 2021年 7月 05日

    劉表が頼りない?(スイッチ入りました!)
    三君八俊の一人ですよ。党人の生き残りだからこそ荊州に名士がゴソッと集まったんですが。

    あとこれ。
    劉表→鎮南将軍・荊州牧并督交揚二州

    荊州の他に揚州と交州の督にもなってます。三州支配を献帝が認めてるんですが、ここはスルーなのかな?
    私見ですが、劉表は劉虞に並ぶ傑物だと思ってましたが頼りないと言われると流石にね。かの孫堅すらも死に追い込んでるのにその戦果も評価されてないのか……
    ここは劉琮が頼りないの間違いだと信じたい。

      • kawauso編集長
      • 2021年 7月 05日

      月友さん:劉表はよくやったと思いますよ。
      単純に文弱な人ではなく蔡瑁・蒯越・蒯良を味方につけて土豪が乱立した荊州で
      地道に勢力を広げていき、最終的には荊州を実質支配したのだと思います。
      劉備については、曹操を牽制するのに使えると考えての客将扱いでしたが、
      劉表に用いられなかった不遇な豪族が劉備の周辺に集まって痛しかゆしという所だったかも
      もう少し寿命があれば、どんな行動に出たか分からない人ではあります。
      袁術から南陽郡を分捕った人でもありますし

    • 月友
    • 2021年 7月 05日

    任侠と書くから誤解を招く。遊侠で大体は通じると思うよ。

    あと劉表ですが、三国志だと誰の末裔かはハッキリしてません。後漢書では劉余の末裔となってるが、その割に本貫(出身地)がその他の劉余の末裔とは合致しない。私から言わせれば劉表も血筋に関しては劉備と余り大差ない感じですよ。

    因みに劉焉は漢の宗族。宗正と言う地位は宗族でないと就任できませんからね。劉焉は後漢に認められた前漢の血筋と言う事になります。キツい事を言うと同族と思われる劉表とは雲泥の差なんですよ。

    • 匿名
    • 2021年 7月 01日

    ヤクザとは違う、じゃなくてヤクザそのものよ…違いは国が私的兵力の保有を禁じているかどうかよ…




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志倶楽部

“濡須口の戦い

“赤壁の戦い

“公孫瓚

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“光武帝

“三国志データベース"

“三国志人物事典

鍾会の乱

八王の乱

3冊同時発売




PAGE TOP