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劉曄を持ち上げて最後に落す!巧妙に仕掛けられた傅子の罠とは?


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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傅玄は劉陶を憎む余り父である劉曄を叩いた

君主論18 kawausoさん

 

どうして、傅玄が巧妙に劉曄を持ち上げた後で落として粉々にしたのか?

 

その原因は傅玄が劉曄の末っ子である劉陶(りゅうとう)と仲が悪かったからであるようです。傅玄の学説は鄭玄(じょうげん)によって完成の域に達した古文学で、辺境の呉でこそ持てはやされたものの当時の中原では時代遅れになり、鄭玄の言説を否定した所からスタートした清談的経学が最先端でした。

 

司馬懿と曹爽

 

そして、その発信源は曹爽(そうそう)のサロンであり先に出て来た劉陶はその一員です。この老壮経学は西晋に入り、古文学を抑えて国学となり、傅玄の屈託はさらに強いものになりました。

 

傅玄は思い込みが強い頑固者であり、その思い込みが劉陶のみではなく、劉陶の父の劉曄まで才能を頼むのみで忠義も徳も薄い人物として貶める事に繋がったのかも知れません。

 

カン丘倹(毌丘倹)

 

ちなみに劉陶は、正史三国志に徳が薄いと批判され、後に毌丘倹(かんきゅうけん)の乱に際し、司馬師に対する受け答えが明瞭ではないとして殺害されています。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

劉曄は徳行に欠けるとして、弾劾を受けたりしていますが、それは過去に郭嘉(かくか)陳羣(ちんぐん)に弾劾されたのと大差ない事です。

 

具体的には音楽よりも狩猟を好む曹丕に対し劉曄は諫めず「狩猟の方が音楽よりも楽しい」と迎合して主君を惑わすと弾劾されたという程度でした。これでダメなら郭嘉もダメのハズですが、傅玄は郭嘉を持ち上げ劉曄は落すというダブスタをやっているのです。

 

参考文献:正史三国志

 

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北伐

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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