移り変わりの体現
文鴦は単騎でこそないものの、僅か10の手勢で司馬師の部隊を蹴散らすなど、古人の武勇に優れています。この文鴦の活躍に、かつての三国志の時代を思い起こす人々もいたでしょう。このような猛将が宮中のあれやそれやに巻き込まれて命を落とす、それを悲運と見る人もいるでしょう。しかし既に時代は動いているのです。文鴦の不幸はそこにあると思います。
三国志の終わり
諸葛誕の反乱、討伐に赴いた司馬昭の兵士たちは約26万とも言われています。
かつて合肥に孫権が攻め込んだ時、その兵力が10万とされています。この時代に10万でも凄い数でした、しかし、司馬昭の時代には更に人数が増えています。既に猛将の時代は終わっていました。
個人の武勇ではなく、統括官としての能力、もしくは宮中で生き残る頭脳こそが求められている時代となっていたのです。生まれる時代が遅かった、それこそが文鴦の悲運でしょう。
三国志演義の終わり
三国志演義で、関羽の死から全てが終わりに近付いていくと言いましたね。これ以降、夷陵の戦いのように、大勢の人々が戦い、計略が交わされ、軍隊が動くようになります。まるで猛将の時代が終わってしまったかのような、そんな喪失感もあります。
そんな中ででてくる文鴦、まるで流星のようにあの一騎当千の時代が蘇ってはきませんか。
しかしそれは流星、一瞬の煌めきで幕を閉じます。だから三国志演義では文鴦を「趙雲の再来」と呼称したのかな……そんな風に感じる筆者でした。
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三国志ライター センのひとりごと
文鴦、結構数奇な人生を送り、そして終焉します。この末期における最後の武将と言っても良いでしょう。そして同時に、全ての終焉を予期させる人物です。
彼を見ているとどうしても時代の終わりともの悲しさを感じずにはいられない、筆者でした……ちゃぽん。
参考文献:魏書諸葛誕伝 晋書司馬攸伝
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