李白も嘆く「蜀道難」
時代が進んでも蜀の桟道が難所であることは変わりませんでした。唐の時代の詩人「李白」も「蜀道難」という詩を書いています。
李白は
「蜀道の険しさは晴天に登るよりも大変なことだ。下には波が逆巻き、巡り流れる川がある。伝説にある黄色い鶴でさえも飛び越えることが出来ない。猿が渡ろうとしているけど、よじ登れないと心配している。」
(意訳)
と詠んでいます。
李白は生まれの地は詳しくわかりませんが、蜀の地で育ち、各地を放浪していたので、桟道の険しさは身に染みていたのでしょう。
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その後の桟道
その後の時代も蜀の桟道は中央と蜀の地を結ぶ重要な道として使われていました。貿易などでも使われ、何度も戦乱などで破壊されながらも復旧されてきました。
しかし、1937年に初めて近代的な道路が完成し、1943年には間中までその道路が到達しました。そうなると蜀の桟道は使われなくなり、不要になった桟道は破壊されていきました。現在では観光の為、安全設備を付けたうえで新たな桟道を整備したり、かろうじて残った古くからの桟道を文化的歴史的価値から保存しようという動きも進んでいます。
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三国志ライターみうらの独り言
「蜀の桟道」を見たことがありますが、本当に人ひとりが通れるほどの狭さで、ここを軍隊が進軍するとなると、実に困難だったことが想像されますね。現在の道路の素晴らしさを実感させられます。
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