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小説「三国志演義」ではもっと呉と深い龐統
小説「三国志演義」では「赤壁の戦い」において、周瑜に「各船を鎖でつなぎ、火がついても容易に逃げられないようにする」という「連環の計」を進言し、曹操を破るのに功績を上げています。
その後周瑜の葬儀に参列した諸葛亮に蜀に仕官するように勧められますが、魯粛が龐統を呉に仕えようとし、孫権に面会させます。しかし孫権は「風貌が醜いし、口調もはきはきしていない」と、龐統を拒否します。
次に劉備と面会しますが、劉備も「風貌が醜いし、本当に龐統かなあ・・・」と疑い、諸葛亮の推薦だから仕方がなく採用し、小さな役を与えます。始めは酒ばかり飲んで仕事をしなかった龐統ですが、張飛に詰問されるとあっという間に仕事を片付け、劉備は龐統を見直すことになります。
「三国志演義」での龐統は「風貌が醜い」とあんまりなキャラ付をされて、あまり待遇は良くありませんが、呉の武将との関係という点では正史「三国志」よりも深く描写がされているようです。
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三国志ライターみうらの独り言
調べてみると意外にも龐統は呉の武将たちとの関係が深いことがわかりましたね。龐統の劉備陣営での出世は早い方でしたが、呉との関係性も重用された原因かもしれませんね。
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