ここで李典を振り返る
そしてここで李典たちの誓いを振り返ってみましょう。当時としては当然の仇への悪感情、李典はそれを抜きにして張遼と協力し合いました。「国家の大事と私情は別」これは長い年月を越えて尚、李典は張遼に対する悪感情があっただけではないのです。それほど悪い感情を抱いている相手であっても、李典は国のためになら協力し合うことができた、ということでもあるのです。
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戦乱の世の常識
時代は戦乱の世、長く続いてしまった群雄割拠の時代では嘗ての仇敵が味方となることはそれほど珍しくはなかったでしょう。ましてや魏は大国、数多くの名将たちを迎え入れ、だからこそ軋轢が多くあったのは想像に難くありません。
当時としてはそれが当然とも言えるような悪い感情しか抱けない相手であっても、時として協力しなければいけなかった。それが国の一大事、命運が肩に乗せられた瞬間に「私情は挟まない」と判断して協力し、強大な敵を協力しあって迎え撃った……見返すと、合肥のエピソードはそこまで深く、感嘆せずにはいられないエピソードなのです。
もしかしたら李典の性格が当時としてはドライであったという可能性もありますが……それでもこの窮地でこの判断ができる人物だった……そう思うと、史書にこれがしっかりと記載されているのは。
ただ、感動としか言えない、そう思う筆者でした。
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三国志ライター センのひとりごと
合肥の戦い、見れば見るほど色々とおかしいレベルの戦いです。しかしその戦いの内容にばかり目が行ってしまいますが、その前に起こったこのエピソードもまた、素晴らしいものです。
ふとこのエピソードを振り返って、当時の李典が本当は何を思っていたのか……そんなことを考えながら、筆者は再び三国志沼にずぶずぶとはまっていくのでした……
ちゃぷり。
参考文献:魏書李典伝
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