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小説では粗暴なイメージ
これまで記してきたように、正史「三国志」では人に好かれ、穏やかなイメージな夏侯惇ですが、小説「三国志演義」になるとちょっと違ってきます。夏侯惇は劉備が正義な「三国志演義」にとっては悪役になりますので「粗暴」なイメージが強調されています。
代表的なのは左目を失う場面です。夏侯惇は射貫かれた目を「これは父の精、母の血、捨ててなるものか!」と豪快にも食べてしまい、正史のように隻眼を嫌がる感じもありません。
また、「関羽千里行」において関羽を執拗に追いかけたり、諸葛亮の罠にハマってしまうなどあまり周辺のことを考えないようなキャラがつけられています。その死に際も、曹操を見舞った際に曹操が殺した者たちの霊を見てしまい、驚いて死んでしまうという、無能そうな最後になっています。
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人柄がよろしくない夏侯惇の息子たち
夏侯惇は優れた人柄で知られていますが、その息子たちはお世辞にも褒められた者ではありませんでした。長男の「夏侯充」は業績が伝わっていませんが、先述した「夏侯楙」は金儲けが好きで女遊びも好きという困った人でした。
その弟たちも「令に欠く」行動が多かったらしく、夏侯楙に叱責されるほどでした。弟たちはこれを恨み、女遊びで仲が悪かった夏侯楙の妻と共謀し、偽の罪をでっち上げて夏侯楙を陥れようとしています。
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三国志ライターみうらの独り言
夏侯惇の人柄は優れたもので、曹操に愛されるのもわかりますね。ただ、自身の学問には熱心な夏侯惇でしたが、息子たちの教育には手が回らなかったようなのが残念ですね。
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