広告

張郃のスゴさは法正を通すと分る。定軍山の勝利の後で劉備が言った一言とは?

2022年6月18日


 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



法正の入れ知恵に曹操もビックリ

三国志の武器 床弩 黄忠

 

定軍山の戦い、初戦こそ劉備たちは苦戦するも、法正到着後は凄まじい勢いで曹操陣営を切り崩していきます。前述したように張コウ相手に圧倒する。救援を出してきた夏侯淵を見逃さず、黄忠(こうちゅう)を伏兵派遣。逆茂木を焼き、夏侯淵が性格上出陣してくると読む。黄忠出陣、夏侯淵を討ち取る。

 

弓の名人・黄忠

 

余りにも綺麗かつスピード感のあるこの報告を受けた曹操が

 

王芬のクーデターが失敗すると見抜く曹操

 

「こんな作戦は劉備じゃ思いつかねえな!誰か別の奴が考えたんだろ!」と言うほどですから、これは間違いなく法正の凄さと言えるでしょう。

 

関連記事:老武将黄忠の活躍を見ていくと沸き上がる疑問点と考察

関連記事:老将黄忠の活躍に関羽も嫉妬?生涯現役を貫いた猛将を考察

 

魏延特集

 

 

 

張郃を追い詰めた法正の死を劉備は悼んだ

法正が亡くなり悲しむ劉備

 

そんな法正ですが、劉備が漢中(かんちゅう)を手に入れ、漢中王となった翌年、亡くなります。劉備はその死を悼み、何日も涙を流しました。そして劉備は、法正に(おくりな)を送りました。

 

この劉備が諡を送ったのは、法正がただ一人です。

 

法正

 

劉備は法正に絶対の信頼を置いていたことは有名ですが、もしかしたら劉備は張コウ相手に善戦過ぎるほど善戦しきった法正だからこそ、絶対の信頼を置いていた……もしくは、その信頼の一端となったのかもしれませんね。

 

関連記事:法正とはどんな人?劉備に漢中をプレゼントした謀主【年表付】

関連記事:法正が存命していたら陸遜は夷陵戦で敗北していた?

 

伝説の企画 朝まで三国志 最強のワルは誰だ

朝まで三国志1

 

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

さて最後は法正の話になってしまったので、張コウのこぼれ話を。夏侯淵を見事討ち取った劉備軍ですが、張コウは撤退しました。このため劉備は「張コウが討ち取れてないじゃないか!」と言ったそうです。

 

後々を考えると、この時点で張コウをこれほど高く評価している劉備も中々に凄いですよね……なんて。本日は定軍山その他からお伝えしました。

 

センさんのとぷんver1

 

どぼーん。

 

参考文献:魏書張コウ伝 蜀書法正伝

 

関連記事:献帝死亡説を利用した?劉備が漢中王に即位したのは孔明と法正の入れ知恵の可能性が浮上!

関連記事:漢中征伐は一人の漆黒の天才軍師・法正の進言によって行われた

 

伝説の企画 朝まで三国志 最強の軍師は誰だ

朝まで三国志2

 

 

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
セン

セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-張郃
-,