張郃のスゴさは法正を通すと分る。定軍山の勝利の後で劉備が言った一言とは?

2022年6月18日


 

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五虎大将軍b 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)で有名な蜀の五虎将軍(ごこしょうぐん)。魏でもその五虎将軍と同じく、同じ伝にまとめられている五名を「魏の五将軍」と呼ぶことがあります。

 

傷だらけでも勇敢に戦う楽進

 

この五将軍、張遼(ちょうりょう)楽進(がくしん)于禁(うきん)(ちょう)コウ・徐晃(じょこう)と名前が羅列されているのを見ただけで、

 

于禁

 

筆者なら降伏を考えるターンに入ってしまいますが、他四名と比べるとちょっと張コウの存在って注目が足りないような?

 

ゾンビのように何度も蘇る張コウ(張郃)

 

……と思っているとその向こうに見えてきたのが法正(ほうせい)の凄さ。ということで、今回は張コウを振り返りつつ、法正についても少しお話しましょうか。

 

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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袁紹の配下だったが進言を無視され曹操に投降

袁紹を裏切る張コウ(張郃)

 

皆さんご存知の通り、張郃はずっと曹操(そうそう)股肱之臣(こうのしん)という訳ではありません。嘗て張コウは袁紹(えんしょう)の配下でした。袁紹の配下として活躍していたのですが、官渡(かんと)の戦いが袁紹と張コウの運命の分かれ道。

 

張コウ(張郃)が曹操軍配下に加わり喜ぶ曹操

 

ここで張コウは食料貯蔵庫の防衛を進言するも取り合って貰えず、曹操の本陣への攻略に回されます。しかも郭図(かくと)らのミスを押し付けられる形になり、進退窮まった張コウは曹操に降伏することとなりました。

 

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曹丕時代にも昇進を重ね征西将軍になる

張コウ 張郃

 

しかしここから張コウの道は日の目を浴びることになります。張コウは数多くの戦いを生き延びるだけでなく、その先々で勝利、そして功を立てていきました。

 

皇帝に就任した曹丕

 

220年には曹丕(そうひ)から左将軍に任命され、後に鄚侯(ていこう)に封じられることになります。後に征西車騎将軍(せいせいしゃきしょうぐん)に任命されるので、既にこの時には嘗ての袁紹配下としての張コウはなく、曹操の、魏の名将としての張コウがそこにあったのでしょう。

 

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司馬懿に進言を無視され北伐で戦死

趙雲に討たれる張コウ(張郃)

 

しかし名将の道にも終わりはあります。231年、祁山(きざん)の戦いこそが張コウにとってのそれでした。撤退した諸葛亮(しょかつりょう)の追撃を行った張コウは、蜀軍から矢の猛攻を浴びて命を落とします。

 

この一件ですが、魏略によると司馬懿(しばい)から追撃を命じられた張コウは軍法を挙げて追撃に反対するも、司馬懿は聞き入れることはなく、止むを得ず出撃しての戦死となったとあります。

 

司馬懿、張コウ

 

この説を取り入れると、(かつ)て意見を聞き入れられず曹操の元に下った張コウが、再び意見を聞き入れられずに戦死するという何とも言い難い最期になります……うぅ。

 

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張遼

 

 

劉備が恐れていた名将、張郃

キレる劉備になだめる黄権

 

さてこの張コウ、劉備(りゅうび)が魏の武将たちの中でもかなり恐れていた存在と言われています。

 

この劉備が警戒するようにと言ったのが「関羽(かんう)を撃退した」楽進、そして「劉備が戦ったことがある」張コウなのですから、劉備の評価の高さも納得の所。特に定軍山(ていぐんざん)では夏侯淵(かこうえん)が討たれた後の魏軍の動揺を抑えるなど、そつのない働きっぷりも注目したい所。

 

法正に敗れる夏侯淵

 

慎重に慎重を重ね、丁寧に敵を追い詰めて刈り取っていく、そんなイメージが張コウにはありますね。

 

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合肥侯擁立事件

 

 

定軍山で法正相手に苦戦する張郃

祁山、街亭

 

そんな定軍山の戦い、ちょっと思い出して頂きましょうか。この定軍山の戦いは、前述したように夏侯淵が戦死し、もっと言うと夏侯淵の息子たちも戦死する上に、おまけの最期は撤退と魏にとっても曹操にとっても大ダメージを受けた戦いです。

 

ここで張コウは出陣していますが、劉備陣営に苦戦し、夏侯淵はこの苦戦した張コウに兵士の半数を割いて救援するも戦死してしまいます。

 

三国志の武器 填壕車 法正

 

この時、劉備があんなにも恐れた張コウが劉備陣営にこれほど苦汁を嘗めさせられているのです。で、この時誰がいたかと言うと……法正ですね。

 

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法正

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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