楊阜を中心にして馬超の乱を見てみたら、やっぱり楊阜主人公でよくね?となった

2022年6月20日


 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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馬超に殺される楊阜の一族

蜀では結果が出せない馬超

 

そうして212年。遂に涼州の兵たちが打倒馬超の時の声を挙げます。馬超も楊阜たちを攻撃しようとしましたが、この隙を突いて冀城を占拠。

 

この時に歴城の姜叙の母は、馬超を「父親を見捨てた逆子!」と罵倒したことで馬超の怒りを買い、人質となっていた趙昂、王異の息子と同様、殺されてしまいます。また楊阜の一族の七名も、処刑されてしまいます。血に塗れた涼州の争いが始まりました。

 

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夏侯淵の英断で援軍が冀城に届く

魏の夏侯淵

 

一度は馬超を追い出した楊阜らでしたが、馬超は漢中で兵を借りて再びやってきます。この際に姜叙は駐屯していた夏侯淵(かこうえん)に援軍を要請します。嘗て、援軍に向かった夏侯淵は途中で韋康が降伏してしまったために、帰還するしかありませんでした。そして今回も援軍要請に、諸将は曹操(そうそう)の判断を仰ぐべきだ、と進言します。

 

「そんなことをしていたら姜叙らは助けられない!」夏侯淵は曹操の返事を待たずに進軍、安定の(ちょう)コウを先行させました。今度こそ、援軍は届いたのです。

 

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赤壁の戦い

 

 

 

曹操の恩賞を辞退する楊阜

曹操

 

こうして馬超は分が悪いと判断したのか、漢中へと逃れて行きました。後に夏侯淵は馬超、韓遂を討ち倒して涼州を平定します。そうしてこの結末を聞きつけた曹操がやってきました。曹操は楊阜の働きを聞き、関内侯(かんだいこう)に封じようとしました。

 

その働きを、忠義心を評価したのでしょう。しかし楊阜はこれを固辞しました。

 

「私は」

「韋康様を守れなかったのです」

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

因みにこの後、何度も曹操が言ってくるので楊阜はこれを受けることになるのですが、ストーリー的にはここで終幕としてみました。たまにはこういうのもいいでしょ、ということで。

 

しかしまあ話の流れは大体正史の記録がこの通りです。また楊阜の言葉も、この後に「あと、馬超を取り逃してしまいましたし」と続きますが、概ねこの通りです。ちょっとだいぶ馬超が悪役ですが、楊阜伝、一つのストーリーか?というほど綺麗にまとめられています。ぜひとも興味のある方は、楊阜伝をご覧下さいませ。

 

センさんのとぷんver2

 

かぽーん。

 

参考文献:魏書楊阜伝 閻温伝

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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