郭淮の隠れた能力、人望がありすぎ羌族と共に打倒司馬氏に立ちそうだった?

2022年4月25日


 

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魏の将軍、郭淮(かくわい)

 

魏の人材豊富さは魏伝にずらっと並んだ名前を見ていても分かるように、凄まじいものがあります。それだけにもしかしたらただ有能なだけではなく、もっと何かキラリと光るモノが求められていたと考えてしまいますね。

 

魏の旗をバックに戦争をする郭淮は魏の将軍

 

今回はそんな魏の武将の中から、郭淮(かくわい)を紹介したいと思います。郭淮の武将面とはまた違う有能さ、ご賞味くださいませ。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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郭淮は并州太原郡の出身

 

郭淮は并州太原郡陽曲県(へいしゅうたいげんぐんようきょくけん)出身です。現代で言うと、山西省太原市の所らへんですね。

 

郭淮

 

祖父は大司農(だいしのう)という国の財政や物資などを管理するという大事な役職に就き、父親も太守を務めていました。それだけに郭淮も将来を期待されていたことでしょう。そして後に曹操(そうそう)の下で働くこととなります。

 

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戦死した夏侯淵の後継者として軍をまとめる郭淮

法正に敗れる夏侯淵

 

そんな郭淮が歴史で活躍するのが、定軍山(ていぐんざん)の戦いです。病気で出陣できなかった郭淮ですが、この戦いで夏侯淵(かこうえん)が戦死してしまいます。

 

愛妻家だった郭淮

 

この時に郭淮は動揺する軍をまとめ、(ちょう)コウを後釜に推し、劉備(りゅうび)の軍を迎撃しました。これを聞いた曹操は郭淮の働きをとても褒めたと言います。

 

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魏のマイナー武将列伝

 

 

羌族を従えて北伐に対抗

寿命が伸びる儀式を行う孔明

 

そして劉備亡き後、諸葛亮(しょかつりょう)の北伐が始まります。今度は司馬懿(しばい)の元で働くことになった郭淮は良く務め、北の反乱鎮圧だけでなく、彼らと友好的な関係も築き、食糧不足になった際には救援物資を貰うなど、戦闘面以外での働きも見せています。

 

後に対蜀の先鋒隊として赴くも、戦果は挙げられず撤退となりますが、そこはまぁ魏の武将の多くが蜀攻めは苦手なので加点減点はなしとしましょうか。

 

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北伐の真実に迫る

北伐

 

 

病弱だがウイットに富んでいる郭淮

いつも病気がちな郭淮

 

さて、話を曹丕(そうひ)が皇帝になった時に戻しましょう。この時にお祝いの言葉を述べるために数多くの武将たちが上京したのですが、定軍山の戦いよろしく再び病気になってしまった郭淮。

 

遅れてやってきた郭淮に対して不機嫌マックスな皇帝さま、郭淮を責めようとするも郭淮はこれを巧みにかわしてみせ、逆に機嫌が良くなった曹丕は、郭淮を雍州刺史の代理と射陽亭侯に封じます。この胆の座り具合と知性が身を救った瞬間ですね。

 

帝政ローマvs三国志

 

 

火薬庫雍州を上手く統治する郭淮

 

 

しかしここでちょっと問題が。雍州(ようしゅう)は漢中の北で、対蜀の最前線の土地です。またこの土地は羌族(きょうぞく)の叛乱が良く起こり、当地のしにくい場所でした(やっぱり嫌がらせでは?)

 

反乱を起こす羌族

 

しかし郭淮は反乱を素早く鎮圧する一方で、羌族の穏健派とは仲良くしたことで上手に土地を治めたのです。このために後に救援物資を貰えたのかもしれませんね。

 

羌族

 

異民族との軋轢(あつれき)は古今東西の問題で、しかも自分の住んでいた土地でもないのにそこの人々と仲良くできる。これが知謀なのか人望なのかは分かりませんが、この手腕こそが後に郭淮に大きく関わってきます。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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