case3:赤兎馬
周倉には伝説があります。関羽に必死について行こうと「赤兎馬と並んで」走る周倉、しかし関羽は赤兎馬に乗っていて、周倉は自らの足でダッシュしています。関羽は名馬を周倉に与えるのですが、その馬はやっと見つけてきた「一日九百里」を走る馬でした。
そこで周倉は「残りは馬を背負って自分で走る」ことで関羽に追いつくのです。何を言っているのか?(真顔)もう赤兎馬に並んで走っていたという辺りから訳が分からない伝説ですが、それってつまり周倉は赤兎馬……ってコト!?という訳で周倉と赤兎馬を取り換えることで絵面が最高におかしい三国志演義が見れるのではないでしょうか。
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周倉と言うキャラクター
最後は何だかおふざけが過ぎるとは思いますが。実は周倉は赤兎馬だけでなく、赤兎馬に跨った呂布とも関連がある……という訳でもなくない?逸話があるのです。
それはそもそも周倉というキャラクターが、関羽の部下にいた「呂布」という人物をモデルにして作られた、という説です。もうこの文字だけでかなりのインパクト。そう思うと三国志演義でこの「呂布」を、周倉に代えて出した……そう考えると、何だかちょっと面白い筆者でした。
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三国志ライター センのひとりごと
さて割と筆者の独断と偏見のとりかえばやシリーズ。ちょっと周倉に付いて考えていたらいてもたってもいられなくなり、ついつい書いてしまいました。このため、いつも以上におふざけ多めなのは否めません。
しかし、三国志はエンターテインメント。そう考えて、執筆させて頂いた次第であります。たまにはこんなのもいいよね、そういうことで。
どぼーん。
参考文献:三国志演義
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