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四川料理
皆様も四川料理はご存知でしょう。この四川料理、現代ではイメージとして「辛い」がありますが、その昔はどちらかというと「甘い」ものであったそうです。
この四川料理は四川で形成されたのですが、形成されたのは秦から三国時代にかけてと言われ、そもそも四川地方では砂糖生産が盛ん、更には後に塩も盛んになり、味付けが濃くなっていった、とされています。
この辺りも、当時から素材の味を補うために調理方法が考えられていった、ということでしょう。つまり孟達が言った「蜀の肉は味が薄い」というのは、現代から見ると四川料理の成長過程、という見方ができるのではないでしょうか。三国志から見る料理の歴、そう思うと何だか感慨深いですね。
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妄想タイム
で、ここでふと考察……というよりも妄想タイムになります。人が一番美味しいと感じるのは、まず食べなれたものです。そして同じくらい大事なこととして、安心感、があるのではないかと思います。
不安な中で、緊張している中では食べ物の味が分かりませんものね。そう考えると、初めて食べるものよりも食べなれた家庭の味の方を好むのは、理に適っていると思います。ここまで言えば何が言いたいのか、大半の人が察して下さったことと思います。
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「あれがもう一度」
そう、孟達が再度魏を裏切ろうとした、それは「故郷の味が食べたかった」からなのではないでしょうか!?
まだ曹丕や夏侯尚なんかが生きていた頃は良かった。ふと「ああ、そう言えば蜀の肉は味が薄かったなぁ」そう思い返すだけだった。でも曹丕も夏侯尚ももういない。周囲からは白い目で見られ、気が休まらない中で。ふと昔食べた肉の味……帰りたい、もう一度……!!
まぁ孟達は別に蜀で生まれ育ったようではないみたいなのでそこまでではないと思いますが(台無し)。ふと「孟達がどうしてわざわざ蜀の料理の味なんかコメントしたんだ?」と思って、妄想して見た次第にございました。
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三国志ライター センのひとりごと
孟達はどうしてもあっちこっち行き過ぎたために、あんまり良いイメージはないように思いますね……更に言うと、独立した伝がないので余計に分かりにくい人物です。じゃあどこに伝を立てられるかと言うと、蜀でも魏でもちょっと立てにくかったのでしょうか。
あとイメージとして、法正と友達だったり、曹丕と友達だったりと、なんかアクが強い人と良く仲良くする人だなーと思いました。もうちょっと深堀してみた人物ですね、孟達。
ちゃぷり。
参考文献:太平御覧 答韋中立論師道書
参考記事:四川料理
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