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真面目な陸遜を不真面目な賈詡とチェンジ!憤死は防げるの?「三国志とりかへばや」

2022年7月14日


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陸遜

 

陸遜(りくそん)を何よりも有名にしたと言えば、夷陵(いりょう)の戦い。この夷陵の戦いで諸将をまとめ、劉備(りゅうび)を打ち破った陸遜は、名実共にその名を知らしめます。

 

責められる陸遜

 

もちろんそれ以前からも、()のために多方面で働いているのですが……不幸なことに、陸遜のいた呉では後に「二宮(にきゅう)の変」が起こってしまいます。

 

ではどうすれば良かったか?

どういう風に立ち回るべきだったか?

それはちょっと答えが出ないけれど、他の人ならどうでしょう?

 

ということで、今回はそんな陸遜のとりかへばやをしてみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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割と苦労している

陸遜

 

陸遜は父親を幼くして亡くしました。陸遜に限りませんが、この時代の武将たちは幼くして父親を亡くす人が多く、時代の苛烈さを感じます。陸遜は従祖父である陸康(りくこう)に引き取られて育てられることになるのですが、この陸康にある日袁術(えんじゅつ)さんからお手紙が届きます。

 

呉の勢力を率いる孫策

 

「兵糧ちょうだい」というお手紙だったのですが、これを陸康が拒否したために、返礼として送り込まれたのが孫策(そんさく)でした。二年ほどの籠城の後、降伏した陸康は失意の内に亡くなり、一族も離散するという酷い憂き目にあったのです。

 

この時、陸遜は他の子供たちと疎開させられていたので助かったということですが、まだまだ幼い陸遜少年が孫家にどのような感情を持っていたかは気になるところです。

 

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関羽戦サポート

孫策、陸遜、顧邵、他

 

当時、陸遜の評判は陸績(りくせき)顧邵(こしょう)には及ばないまでも、中々の好評価であったと思われます。任された仕事をしっかりと仕上げ、反乱もきちんと鎮圧。そして山越平定の功績により孫権(そんけん)は陸遜の評判を聞きつけ、姪っ子(孫策の娘)を嫁がせました。

 

関羽に手紙を送る陸遜

 

ここから陸遜もどんどんと昇進していき、荊州(けいしゅう)関羽(かんう)とにらみ合う呂蒙(りょもう)に献策をし、関羽の油断を誘って荊州攻略を成功させるのです。この関羽への勝利が、後々の呉と(しょく)、更には()との関係を決めてしまった気もしますが……。

 

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222年、時は……いえ、劉備が動きました。関羽の仇を何が何でも討とうとしたのか、漢中(かんちゅうおう)になって真っ先に行われる呉征伐。この迫りくる劉備に孫権が相対させたのが、陸遜です。

 

陸遜

 

大都督(だいととく)となって呉の諸将を指揮することになった陸遜ですが、そこで簡単に陸遜の言うことを聞いてくれるはずもなく。しかしそれでも陸遜は奮戦し、火計によって劉備軍を尽く討ち果たします。これには諸将も陸遜を評価するようになり、更にはその後の魏も追い返すのですが……その陸遜の晩年は。

 

と、ここで二宮の変を語ると長くなるので、それは別の項で。早速陸遜のとりかえばやをしてみましょう!

 

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やはりまず名前を挙げたいのは、陸遜同じく伝が単独で立てられている人物、諸葛亮(しょかつりょう)でしょうか。割と正確に似通った部分を感じる二人、とりかえばやすると何気に諸葛の龍虎(りゅうこ)孫呉(そんご)に大集合するのも見どころ!

 

個人的には孫権は諸葛亮とは上手くやれなさそうですが、陸遜は劉備とはもしかしたらそこそこ良くやれるのでは……?少なくとも蜀だと後継者問題に巻き込まれることはないかな、というのは高ポイントかもしれません。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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