司馬懿と曾孫の司馬衷をチェンジ!賈南風を抑えれば八王の乱は起きない?「三国志とりかへばや」

2022年7月12日


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司馬懿

 

「大志と野望を持っている」と警戒され、「一臣に終わる身ではないと」言われつつも信頼され、「其方の顔を見ずに死ぬのが辛かった」とまで主に言われた人物、司馬仲達(しばちゅうたつ)

 

野心家である、という記録ばかりが目に付くので、寧ろ筆者などは「実はそこまでやる気なかったんじゃないか?」とか思ってしまう訳ですが、今回はそんな司馬懿(しばい)のとりかえばやを考えてみたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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仮病はどんなもんだろうか?

司馬防

 

(かつ)曹操(そうそう)は司馬懿の父親である、司馬防(しばぼう)に引き立てられたという経緯があり、そのためか彼の息子である司馬朗(しばろう)、司馬懿を引き立てようとしました。

 

しかし司馬懿は「(かん)の敵である曹操に屈する訳にはいかない!」とこれを固辞した……とは言いますが、本当の所は良く分かっておりません。

 

当時は「お偉いさんからのお誘いを一回は断っちゃうのが超クール!(意訳)」みたいなトレンドもあったらしく、このため司馬懿は一度は断った、という説もあります。

 

荀彧

 

とは言え後に(さい)エンと荀彧(じゅんいく)が司馬懿を推挙し、これに応じて司馬懿は出仕、そして曹丕(そうひ)に仕えるようになったと言われています。

 

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曹操の警戒、曹丕の信頼

司馬懿と曹丕

 

曹操は司馬懿を警戒して都度曹丕に警告していたと言いますが、曹丕の方は司馬懿を気に入り、また司馬懿自身もその信頼に応えるために軽率な振る舞いをしないよう努め、それは後々まで続く信頼となります。

 

陳羣

 

こうして司馬懿は太子中庶子に任命され、曹丕の傍に他の四友である、陳羣(ちんぐん)呉質(ごしつ)(しゅ)シャクと共に良く仕えました。因みに弟の司馬孚(しばふ)曹植(そうしょく)に仕え、こちらも良く信頼されていたと言われています。

 

尚この頃、兄で司馬家きっての善性の人、司馬朗が病で亡くなります……この頃から、司馬懿は司馬家を背負っていく立場となったのでした。

 

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歴代に信任される

司馬懿と曹叡

 

曹操の在命時は関羽(かんう)の攻略に尽力し、曹丕が禅譲を受けて皇帝となった後にはその間際に曹叡(そうえい)を託されるまで信頼され、果てに曹叡の時代には諸葛亮(しょかつりょう)公孫淵(こうそんえん)らを見事に退け鎮圧するという大活躍。()の二代目皇帝、曹叡の崩御時にもその後継を託されるほどに信任されていました。

 

司馬懿の墓

 

しかしその後、曹爽(そうそう)らにクーデーターをしかけ、彼らを失脚させます。これ自体は曹爽らにかなりの問題があったので、魏のために憂いを取り除いたとも言えますが……曹爽らの失脚により魏の皇室の力は弱体化、そして司馬懿の死後、息子たちの代で(しん)の世は始まるのでした。

 

ではその司馬懿、とりかえばやするならばだーれだ?

 

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case1:司馬朗

司馬朗

 

まぁお兄ちゃんはやっておきたいよね!

 

さて司馬朗は司馬懿の兄で、お友達から「君の弟は君より優秀だね!」とか言われても寧ろ弟の評価の高さを喜んだ、と言われる人。そう言われても司馬朗自身の能力も高く、特に赴任先で善政を施す司馬朗は民衆にとても人気がありました。

 

司馬朗と曹操

 

曹操もその才能と人格者っぷりと高く評価、何気に曹丕も司馬朗の言葉を記録させたりと優秀な人物なのですが……司馬家には珍しく、短命です。司馬朗が長生きして司馬懿が短命……これはこれで見てみたくはないでしょうか。

 

何だかんだ兄弟揃って優秀だから司馬防さん大勝利ですね。

 

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case2:司馬孚

 

さてこちらは弟、司馬孚。曹植の行動を良く諫めて信頼されていた司馬孚は曹植派……と思いきや、曹操の亡くなった際に曹丕を良く諫め、兄(司馬朗の方)と負けず劣らずの人格者っぷりながら、曹叡からは「二人目の司馬懿だ!!」と言われるほど能力を高く買われていた人物です。

 

魏の忠臣であった彼は魏の皇室を貴び、皇帝曹髦(そうぼう)が暗殺された際にはその遺体に取りすがって泣き、魏から晋への禅譲が行われても「私は死ぬまで魏の臣下です」と曹奐(そうかん)に言ったとされる司馬孚。

 

甥の司馬師や司馬昭も彼には手出しができなかったようですが、まあ恐ろしいことに甥っ子よりもこの叔父さん長生きするんだよなぁ……。

 

ここまで魏の忠臣を貫いた司馬孚、個人的な意見ですが「晋書じゃなくて三国志に伝立てて上げて……!」と思いますね。司馬懿ととりかえばやすることで、最期まで魏の世で生きさせて上げたいです。

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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