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軍の隠蔽工作が明るみに出て再審開始
しかし真実を追求する良心の声は消える事はありません。
陸軍がドレフュスを有罪にしようと陸軍少佐のアンリに偽文書を作成させていた事実を新聞がすっぱ抜いたのです。さらに逮捕されたアンリ少佐は偽造を自白し、後にモン=ヴァレリアン監獄の独房で自殺していた事実も明らかになります。
フランス陸軍という巨大組織の嘘が自殺者を産んだのです。
度重なる陸軍の隠蔽工作に、ドレフュス事件再審を要求する国民の声が強まり、唯一の証拠である密書の筆跡鑑定が再度行われた結果、筆跡がドレフュスではなくエステラージーのモノであることが明らかになります。
こうして、1899年6月5日アルフレッド=ドレフュスは5年もの悪魔島の禁固を解かれ、再審のためにフランスに戻ります。同年8月にレンヌで軍法会議の再審が開始され、厳しい環境でやつれたドレフュスも出廷しました。
しかし陸軍は1894年の参謀本部の責任者メルシエ将軍が出廷上層部の謀議を否定。結局、再審も2対5でドレフュス有罪となり情状酌量で禁固10年という判決が出ます。この判決の日、ドレフュスの弁護士ラボリが右派活動家に狙撃される事件も起きています。
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拡大していくドレフュス事件の波紋
失意のドレフュスですが、政府内の共和派はドレフュス救済に動きました。そして、ドレフュスが有罪を認める事を条件に大統領特赦が出されることになります。
1899年9月19日、ドレフュスは悩んだ末に罪を認め特赦によって出獄。その後も自分が潔白であることを訴える声明を出しますが、事件が大きくなった結果、フランスの世論からドレフュス個人への関心が急速に消え失せていきます。
そして、腐敗した陸軍の組織改革と政府に癒着し政教分離を踏み越え政治に口を挟んでくるカトリック教会に対する批判が前面に出ていき、人権問題だったドレフュス事件は大きく変貌していきました。
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名誉を回復し75歳で死去
釈放後、ドレフュスは妹とカルパントラで暮らしますが、免責の後、少佐に昇進して軍への再入隊を許可され、入隊一週間でレジオンドヌール勲章を受章。ヴァンセンヌで砲兵隊長に任命されました。
1906年、冤罪による逮捕から12年後、ようやくドレフュスを無罪とする判決が出され、同年10月15日に、ドレフュスはサンドニで砲兵部隊の司令官となります。しかし、悪魔島での獄中生活で健康を害していたドレフュスは、1907年10月に軍を退役しました。
事件から10年以上経過しても、ドレフュスに対する風当りは強く、1908年に恩人であるエミール=ゾラの遺骨をパンテオンに奉納する式典に出席していた際には、不満を持ったジャーナリストに銃撃され腕を負傷するテロに見舞われています。
その後、ドレフュスは75歳まで生き、1935年7月12日にパリで没します。ドレフュスの死の2日後、7月14日はフランスの革命記念日でありドレフュスの葬列もコンコルド広場を通りました。
フランス人権宣言は、第七条で以下のように述べています。
何人も、法律の定め、かつ、法律が規定する形式によってのみ訴追、逮捕、または拘禁され得る。恣意的な命令を要請、発令、執行し、または執行させる者は処罰されなければならない。しかし、法律によって召喚され、また逮捕された全ての市民は直ちに従わなければならない。その者は抵抗することによって有罪となる。
ドレフュスは勇気ある行動により、フランス人権宣言とは何であったのか?をフランス国民へ問い、そして思い起こさせたのです。
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英雄ピカール
一時は監獄に収監され、どん底まで叩き落とされた内部告発者、ジョルジュ=ピカール中佐ですが、ドレフュスが赦免されると陸軍に復帰し大佐に昇格、さらに准将にまで昇進します。
その後、クレマンソーが政権を握ると陸軍大臣に指名され3年間も在籍しました。しかし、陸軍上層部はピカールを裏切り者として扱い決して許そうとはしなかった上、ピカールが独身主義者で子供もない事から、その功績は現在では忘れさられています。
ピカールは特別に博愛主義者ではなく、冤罪を知るまではドレフュスに対する態度も冷淡でユダヤ人に対しても否定的な見解を持つ、一般的なフランス人でした。
それでもピカールがドレフュスを救おうとした理由は、民族も人種も関係なく誤った判決は撤回され、冤罪は雪がれなければならないという彼個人の使命感によるものです。ドレフュス個人への好悪ではなく、法の下の平等に叛くまいとした彼の立派な精神はもっと評価されてもいいものだと思います。
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世界史ライターkawausoの独り言
ドレフュスを逮捕したフランス陸軍の参謀たちは証拠がないにもかかわらず、ドレフュスがユダヤ人であるというだけで彼を疑い、恣意的な命令を発令し執行。悪魔島の監獄へ5年間も閉じ込め彼の名誉を剥奪しました。
参謀たちは陸軍という組織に守られ無実の人間を罪に落したという責任を取りませんでしたが、人権宣言に反した彼らの行動は何度でも白日の下に晒され、批判され、また自戒し続けねばなりません。
何故なら人の心の中には常に何らかの差別心があり、切っ掛けさえあれば、それはいつでも吹き出し、無実のドレフュスを罪に落し、また私たちがドレフュス自身になるかも知れないからです。
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