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きな臭いぞぉ
ここで思い出して欲しいのが、簡雍は古参の人物であったということ。もう少し言うならば、劉備と古くからの付き合いで(多分)ズッ友であったこと。言うなれば関羽や張飛並みの重要な人物ですが、その後の記録は丸でなし。
これは……怪しいのでは?
また簡雍は前述したように、劉備の前でも諸葛亮の前であってもだらだらしない、そんな礼節には欠く人物でした。その割には降伏使者とかできる人なので、完全に傲慢不遜とは言えないかもしれませんが……。
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邪魔になったのでは?
そこで思いつくのが「蜀には簡雍は不要説」です。劉備は蜀を手に入れました。蜀は魏に対抗するため、蜀漢になりました。そして始まる法整備、国の運営、忙しい日々。そんな中に、簡雍のような性格の人物がいたらどうでしょうか?
ぶっちゃけ後からきた人物たちからしても、簡雍って邪魔だったのではないでしょうか。というか目に余る存在、だけどトップと昔から親しいからそんなことは言いづらい。つまり、中々めんどくさい立ち位置の人物だったのだと推測します。
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一抹の
とは言え、簡雍は存在としては功臣です。古参でトップと親しくて国の存在からすると功臣とか、厄介この上ない。
なので簡雍自身が、というよりも、簡雍が何かしたことが「残されなかった」のではないかと思いました。もしかしたら簡雍自身もそれを悟って、残すようなことをしなかったのかもしれません。
簡雍からすると劉備の蜀入り、そして皇帝になったのは嬉しくとも、どこか遠くに行き過ぎてしまったような……そんな寂しさがあるような気がして、ならないのです。
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三国志ライター センのひとりごと
簡雍、面白い人物です。劉備との関係性も、中々面白いものがあります。本人の性格もこれでいて機知に富む人物で、逸話も中々ウィットに富んでいます。
でも、色々な要素がかみ合ってしまったのか、どうにも不遇な人物でもあります。下手をすると、三国志演義での演出によって、割りをくった存在と言えるのではないでしょうか。もうちょっと色んな所で簡雍に付いて触れてくれたらな、と思う筆者でした。
ちゃぽーん。
参考文献:蜀書簡雍伝 孫乾伝
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