劉備の失ったもの
さてここで劉備の失ったものは一体どれくらいか。もちろん兵の損害、物資の損害も大きな物でしょう。同時に黄権や馬良など、数多の優秀な人材も失っています。
そして何よりも大きいのが、荊州を失ったこと。直前の曹操との戦い、漢中での勝利によって漢中王となり、天下三分を成し遂げていたというのに、その天下への足掛かりである貴重な土地を失ったのです。
こちらもCHECK
-
孔明の義兄弟であり馬謖の兄の馬良とはどんな人?
続きを見る
関羽の敵討ちをするべきではなかった?
では、夷陵の戦いをするべきではなかったか、というと実はこれも蜀の観点からすると難しい所。前述したように、荊州と言う土地は蜀にとって、とても大事な場所でした。蜀にとっては出入口とも言える場所ですし、何よりも蜀からすると荊州は「土地が良い」。
人口も多く、人も蜀に比べると遥かに住みやすい、要所中の要所。
なので、関羽を失っているか失っていないかよりも、統治者的には荊州はどうにかしてでも取り返すべき場所、であったと思われます……結果から言うと、取り返すことはできなかったのですが。
こちらもCHECK
-
どうして孫権は劉備に荊州を貸したの?荊州問題を再整理してみる
続きを見る
天下のバランス、壊れる
ここで、劉備が倒れたことは、ある種、天下のパワーバランスを大きく狂わせます。天下三分の計は、あくまで三国のパワーバランスが大事であり、拮抗している状態を維持することで、例え一つの国が突出していても、他の二国で対抗する……ことで、一強となることを防ぐことにあります。
蜀は敗北しました。しかも今までとは違う、大き過ぎる敗北。三国志は、この瞬間から終わりに向かって行っていたのかもしれません。
こちらもCHECK
-
もしも、馬謖が劉備に排除されていたら北伐はどうなる?
続きを見る
三国志ライター センのひとりごと
さて、これ以降は蜀はどうにか呉と手を組みなおして立て直す(がんばる)時期に入ります。
歴史を後年から見ると、ここでの劉備の手段としては「なんとか孫権と和解して荊州を一部譲ってもらう」……くらいが、魏と敵対する上では重要なのでは、と筆者は思いました。
魏という国に対抗するにはあくまで呉と手を組むのが大事です。しかしそう言うとそもそも荊州統治を関羽に任せたのが……うーん、難しいですね。読者の皆さんはここで、劉備はどのようにしたら切り抜けられると思われますか?
よろしければご一緒に、考えて見て下さいね!
どぼーん。
参考文献:三国志蜀書先主伝 関羽伝
こちらもCHECK
-
YouTubeマンガ 第四弾「三国志の魏呉蜀の国力差はどれくらいあったの?」5月22日公開
続きを見る