夷陵の戦いを「蜀」の側から見て考える

2022年8月15日


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夷陵の戦いで負ける劉備

 

さて皆様は夷陵(いりょう)の戦いをご存知でしょうか、ご存知ですね。三国志(さんごくし)末期……というよりも、実際に年表で考えると「三国となってから起きたでっかい戦い」というべき戦いであり、そして三国の関係に決定打を打ったような戦いです。

 

三国志を語るセンさん

 

しかしこの夷陵の戦い、様々な思惑が交差して面白いこと面白いこと……という訳で、今回はこの夷陵の戦いを、(しょく)の方面から見て、色々なことを考えてみたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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スタートは樊城

樊城の戦い

 

さてさて、夷陵の戦いはある日突然始まった訳ではございません。始まりはこれより数年前のこと、蜀の将軍、関羽(かんう)荊州(けいしゅう)から北上、()の居城である樊城(はんじょう)を攻撃しました。

 

合肥の戦いの満寵

 

樊城を守るのは曹仁(そうじん)満寵(まんちょう)曹操(そうそう)は急いで救援として于禁(うきん)に大軍を率いて行かせるも、不運なことに長雨からの川の反乱によってこの援軍は壊滅し、于禁は降伏することになります。

 

ホウ徳(龐徳)

 

またこの戦いでは魏将、ホウ(とく)が関羽に捕縛され、曹操への忠義を貫いて降伏を良しとせず、関羽に斬られました。既に曹魏の被害は大きなものとなっています。

 

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曹操「やばい」

曹操、ホウ徳、于禁

 

正に関羽の快進撃、それはホウ徳を討って尚止まることなく、樊城は包囲されます。この時の樊城は折角の救援が途中で降伏、更には関羽に包囲され、もっと言うと城は水害で殆ど水没状態という有様。

 

関羽に降伏する于禁

 

もはやどうしてここまでされて落城していないのか不思議なほど。余りのことに曹操が遷都を考えるほどで、関羽の勢いの凄まじさを感じることができます。

 

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関羽

 

 

(関羽)巨星、落つ

父・関羽とともに亡くなる関平

 

しかし、関羽の快進撃はここまででした。以前より関係が悪化していた()が関羽の背後を急襲、更には魏から再び大軍の援軍お代わり、それを率いるのは徐晃(じょこう)、そして全く持って不思議なことに落ちる気配がない樊城……最終的に、関羽は捕縛され、処刑されました。

 

関羽の青銅像

 

こうして蜀は関羽だけでなく、荊州と言う戦略上の観点から見てとても重要な要地まで失ってしまったのです。

 

キレる劉備になだめる黄権

 

かくして関羽の死に劉備(りゅうび)は激昂、周囲の者が止めるのも聞かずに呉との戦いを始めました。これこそが、後に夷陵の戦いと呼ばれる蜀と呉の戦いです。

 

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関帝廟

 

 

三兄弟、閉幕

陸遜に騙されている事に気づいていない馮習と劉備

 

夷陵の戦いは、最初こそは蜀が優勢でした。寧ろ呉を圧倒していたと言っても良いかもしれません。そこで出てくるのが陸遜(りくそん)による火計(かけい)

 

陸遜

 

蜀からの長く伸びきった補給路、そして万が一の退路を攻撃され、またそこに呉の名だたる武将たちが攻めかかり、蜀軍は壊滅。劉備は何とか逃走するも、多くの将たちを失ってしまい、そのまま白帝城にて病没しました。

 

亡くなる張飛将軍

 

先んじて張飛(ちょうひ)も亡くなっているので、三国志演義(さんごくしえんひ)ではここで序盤の夢を膨らませてここまでやってきた桃園(とうえん)三兄弟の退場となってしまいます。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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