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バイオレンス趙雲が趙範をケルナグール
趙雲との縁を感じた趙範は、宴会の席に美人の兄嫁、樊氏を呼んで趙雲と会わせます。これに対する返答はおおむね正史と同じなのですが、ここで趙雲は激怒。
「兄嫁を宴会の席に呼び、別の男に進めるなど畜生めが!」
趙範は趙雲にボコボコにされ、そのまま帰宅。趙範からすれば善意でやったのにこの顛末。怒った趙範は趙雲を暗殺しようとするもやっぱり失敗、桂陽城は趙雲によって陥落させられることになりました。
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そして劉備の前に引き出された趙範は、涙ながらに事の顛末を説明。よく考えたら善意でやってる分、悪行しか描かれてない韓玄よりだいぶ良い扱いですね。
話を聞いた劉備が趙雲に樊氏との仲人をやろうか?と持ち掛けるものの、やはり趙雲が断るのは正史と同じです。趙雲の高潔さを引き立てるエピソードとなっています。因みにこの後、劉備は家臣たちの説得で同族の未亡人、呉夫人と結婚するのですが……うーん。
※kawa註
趙雲が趙範の兄の未亡人との縁談を断ったのは同姓不婚の原則によるものです。
同姓不婚とは、同じ姓の家から嫁は取らないという意味で、同じ姓から嫁を取ると妻が妊娠しにくくなると信じられ
一族が絶える事をなにより恐れる中国社会では20世紀に入るまで守られました。
厳密に言うと趙範の兄に嫁いだ樊氏は、樊姓なので趙姓の趙雲とは同族ではありませんが、時間差で趙範の兄と同じ妻を共有する形になるのを嫌ったという事でしょう。
劉備も後年、呉懿の妹で劉焉の子の劉瑁に嫁いで未亡人になった呉夫人を勧められて同姓不婚から躊躇しますが
法正がやってきて、「晋の文公は秦の援軍を得るために甥に嫁いでから離別した秦の公女と再婚しました。
あちらは伯父が甥の妻を嫁にしたわけですが、それでも批難されませんでした。ましてや同族とはいえ、顔も見た事がない劉瑁など、大した問題ではありません」と説得したので呉夫人を娶ったという事です。
また、当時は女性が身寄りを失うと生きていくのが大変だったので社会保障の面からも再婚は何の障害にもなりませんでした。
だから演義で樊氏が「高名な趙雲将軍の妻になりたい」と言っても亡き夫を忘れたのかと批難される事はありません。
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京劇では樊氏と結婚する趙雲
さてここまで樊氏の印象がただ美人なことしか残りませんが、京劇では面白い結末が存在します。なんと京劇では樊氏は、自ら武器を取り戦う美女にして武人。物語の筋は大方同じですが、趙雲と武器を合わせる内にお互いに恋に落ち、諸葛亮と劉備の薦めもあって結婚。
これはこれで面白いオチです。もしかしたら趙雲もしっかりと家庭を持って欲しい……という、民衆の願いだったのかもしれませんね。
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三国志ライター センのひとりごと
前述したように劉備も後の穆皇后とは再婚ですし、再婚であっても上手くいく、という人々の思いが込められているような気がします。一応、趙雲には子供がいたので、妻自体は娶ったようですが、誰でどんな人なのかははっきりしません。そういう意味では、脚色しやすい、とも言えるでしょうか。
もちろんただ一人の武人として戦場を駆け続けた趙雲もカッコいいですが、一家の大黒柱となった趙雲もそれはそれでカッコ良さそうですね!
どぼーん!
参考文献:蜀書趙雲伝 趙雲別伝
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