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有能だが魏と蜀で嫌われ列伝されず
さてこの孟達、蜀書には当然のように伝はありません。蜀の立て役者とも言って良い存在ですが、まあ劉備の怨みを買っていた、というところ。更に言うと劉備から離反して魏に行ってしまった人物、と言う点で蜀書には伝は立てられないでしょう。
しかし魏書にも伝はありません。最終的に魏で謀反しようとした、そういう人物であるとするならば、魏書にも書くべきではない、と判断されたのかもしれませんね。では主君を裏切り続けたからアウトなのか?というとそうではないでしょう。
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主君を替えたのは全然OKだが終わりが悪かった
主君をころころ変える、そういう人物は当時として良くあることでした。そもそもとして友人の法正だってそうです。もうちょっと言うなら魏には賈ク先生という人物がいるので、当時から珍しいものではなかったと思われます。
ただ孟達は蜀も、魏も、結局裏切って、誅殺されます。遡ると面倒なことに蜀の立て役者の一人です。しかし関羽を見捨てた……とも言えない、人物。そう、評価がし辛い。もっと言うと最期がグダグダ!
ここで綺麗に魏を裏切って蜀に戻るか、もしくはあくまで魏に仕える道を選べればいいのに、そのどっちも取らない!
そういう面が嫌われた……といよりも「こいつ面倒だな……」と陳寿先生に思われたのではないか、と思ってしまいますね。
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数年でコロコロ職場を替えるのが問題かも
前述したように、孟達は伝が立てられていません。彼の記録は正史において、散文しています。このため追いかけるのが難しいだけでなく、その行動についても深くは触れられてはいません。これは歴史書であるため当然とは言えるのですが、どうにも「ふらふらしている」ような印象を受けてしまいます。
蜀の立て役者とは言え、劉備に深く信頼された感じもなく。曹丕に寵愛されていたとはいえ、やたら「いずれ裏切る」とばかり言われ。更にはまた裏切ると思わせて司馬懿に速攻対処で斬られてしまう。
蜀にも魏にも、深く根付いていない。それ故に伝が立てられていない……裏切りよりも、そちらの印象を強く受ける、そんな印象が孟達には在りますね。
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三国志ライター センのひとりごと
これが三国志演義になると関羽を裏切ったというか、見殺しにした部分のイメージが強く、その印象が強くてこっちはこっちで印象が良くないんですよね孟達さん。
どうにも印象が良くない、深くない上に良くない、そんなイメージが付いてしまっています。記録されている手紙を見ると弁が立つ、いや何か鼻に付くみたいな印象でこれはこれで面白いのですが。
下手をすると「曹丕と肉料理について喋った人」……みたいな印象ばかり残るのではないかな、なんて少し心配になった筆者でした。
ちゃぷり。
参考文献:蜀書劉封伝 費詩伝 魏書明帝紀
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