魏に向かっても劉備に義理を立てた徐庶

2022年9月9日


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人質にされる徐庶の母親

 

三国志演義では劉備の最初の軍師として知られる徐庶。そんな徐庶は荊州を曹操が落とした事により母を捕らえられ激しく動揺し、親孝行と忠義が両立できないとして劉備の下を去りました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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徐庶のその後は正史諸葛亮伝を補う魏略に登場

魏志(魏書)_書類

 

そんな徐庶のその後は正史諸葛亮伝を補う魏略に登場します。これによると徐庶は諸葛亮とは別の道を選択し、共通の友人、石韜と北()に行ったとあります。

 

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魏略から読み取る徐庶

徐庶

 

魏略では石韜が魏に仕えたのを黄初年間(220年~226年)としています。徐庶については書いていませんが、同時期なので省いたと考えられます。そうすると興味深い事実が浮かび上がってきます。徐庶は劉備の下を辞してより、最低でも12年もの間、魏には仕えていない事になるのです。

 

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徐庶が魏に仕えようと思った理由

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

では、どうして12年を経過して魏に仕える気になったのか?考えられるのは、老母が亡くなったという事ではないでしょうか?

 

劉備の元から離れたくない徐庶

 

徐庶は劉備の下を離れる時に、老母に孝養を尽くしたいと言いました。そのため、老母の存命中に魏に仕えれば劉備に嘘をついた事になります。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

だから徐庶は義理を立て、老母が亡くなるまでは仕官をせず老母が死んで初めて魏に仕官した。こう考える事も出来るのではないでしょうか?史実の徐庶も、なかなか義理堅い人だったのかも知れません。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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