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意外と延長を認める孫権
意外に気長な孫権は七日の延長を認めますがさらに七日頑張っても舎利は出ませんでした。
孫権「おい!さすがにドバッと舎利でたろ?」三蔵「まだ出ません、すみませんが、もう七日下さい」
孫権「しょうがねえな…、これが最期だぞ」
孫権は悠長に三度目の延長を認めました。
そして、康僧会三蔵が誠心誠意祈る事、六日目、瑠璃色の壺の中に大きな舎利が出現します。
三蔵「呉王様!出ました舎利が出ましたよ」孫権「マジで!てっきり大嘘つきだと思っていたのに」しかし、疑り深い孫権は、丸く光り輝く舎利を簡単に信じません。
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科学者的な思考をする孫権
孫権「え~?これ、お前が俺達の監視の目を盗んでどこからか持って来たんちゃうん?どうやって、これが釈迦仏の舎利って証明するよ?」
孫権、3世紀の人間なのに現代人みたいなサイエンスぶりです。それに対し三蔵は「舎利はオリハルコンより硬いので、焼いても叩いても傷もつきません」と断言
孫権は、じゃあ確かめようと、舎利を瑠璃の壺から取り出し鉄の台座の上に置き怪力の人を呼んでハンマーで全力でブッ叩きますが台座とハンマーが窪んだだけで舎利は少しも傷つきません。
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呉の国に仏法が広まった理由
孫権は恐れ入って土下座し「これは本物の仏舎利だ、度々疑った私は愚かであった。今後は毎日欠かさずに拝むとしよう。どこに置けばよいだろう」と現金な事を言い出しました。
すると三蔵は「寺を建て、そこに舎利を安置してください」とアドバイス孫権は三蔵の言う通り、西暦247年、建初寺を建立しました。呉の国に仏法が広まったのは、ここからであるそうです。
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三国志ライターkawausoの独り言
このように今昔物語には、孫権が登場する話があるのです。とっても意外ですね。
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