盧植は賄賂を断り名将軍になり損ねた!清廉ゆえの「天気雨人生」を解説

2022年9月11日


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生徒に勉強を教える盧植

 

皆さんもご存知、盧植(ろしょく)先生。劉備(りゅうび)公孫(こうそん)サンの先生ですね。三国志演義(さんごくしえんぎ)では黄巾(こうきん)の乱で劉備と再会、しかし後に讒言(ざんげん)によって陥れられ……なんやかんやで復帰した後は何もないままフェードアウトしてしまう人物でしたね。

 

三国志を語るセンさん

 

しかし実際にはかなりの活躍をする人物でもあります。そこで今回は盧植先生と、彼に関係した賄賂のお話も少ししたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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女に見向きもしない真面目学生盧植

盧植

 

盧植先生も昔から誰かに教える側であった訳ではありません。(かつ)ては後漢(こうかん)の名門、馬一族の馬融(ばゆう)に師事し、儒学を学びました。

 

盧植

 

馬融は講義の際には多くの女性を侍らせて歌や舞を躍らせて、それを楽しみながら講義をするという様子でしたが、盧植は歌舞に目もくれず真面目に学問に取り組んでいました。このため馬融は盧植に敬意を持って接したそうです。

 

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お酒は大好きだった真面目学生盧植

盧植

 

このように盧植は学問に真面目に取り組んでいき、古今の書に通じる人物となりました。博学で節義もある人物だった盧植は多くの人に好かれ、しかしてその反面、この世の中を救いたい!という熱いハートも胸に秘めた青年だったようです。

 

盧植

 

因みにお酒は「一石ほど(たしな)んだ」とあります。漢時代の一石って31㎏という話を見たことがあるんですが……嗜んでいた……?

 

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九江蛮を退治したけど病気で引退し塾を始めた盧植先生

盧植

 

さて盧植は士官の誘いがあったようですがこれを辞退します。そして後に九江蛮(きゅうこうばん)が反乱を起こした際に「文武の才能がある人物」として九江太守に任命されました。学問に通じていたのは前述の通りですが、同時に武芸にも長じていたようです。

 

三国志大学で勉強する公孫サン(公孫瓚)

 

しかしこの後、病のため一時辞職。そして故郷で学び舎を開き、劉備や公孫サンといったご近所の子供たちに学問を教える先生となったのでした。三国志演義で劉備が「先生」と呼んでいるのはこのためですね。

 

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更にこの後、侍中となります。侍中というのは、簡単に言ってしまうと皇帝の秘書。もちろん優秀でなければお声がかからないような立場。しかしこの頃と言えば漢王室の権威は……のような時代でしたから、先生も大変だったかもしれませんね。

 

西洋が好きな霊帝

 

そして178年、盧植先生は天を見ます。日食が起こったのです。このため政治を正すように、と意見するも、霊帝(れいてい)がこれを聞き入れることはありませんでした。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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