傾国の美女と悪女は似て非なるもの
そして良く混同されがちですが、傾国の美女と悪女は違います。悪女と言うのは一般的には「性格が悪い女」ということで、決して「国を滅ぼす原因の女性」ではありません。おそらくこの二つが混合されがちなのは
「国を傾けた美女」=「美女が原因で国が亡びる」=「悪女」という公式ができやすいからでしょう。「美人な女性に皇帝がぞっこんになって奥さんにした結果、たくさんの優秀な子供を産んで皇帝を良く補佐して国を豊かにして臣下や民の人々に慕われました」
というのは賢妻であって、傾国の美女とは言いませんからね……悪名に勝る名無しとはまさにこのこと。なので、どんな描かれ方をするかは別にして、貂蝉は傾国の美女と言っても良いと思います。
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傾国の美女の元ネタ
さてさてこの傾国の美女、実はちゃんと元ネタと言うべきものがございます。それは前漢の第七代皇帝、武帝の時代のこと。この時に宦官である李延年という男性がおりました。
この李延年、大変歌舞を得意として、聞く人々はそれに聞き惚れていたと言います。そんな彼は、ある日こんな歌を歌いました。「北方に佳人有り 絶世に而て獨り立つ一たび顧みれば人の城を傾け 再び顧みれば人の国を傾ける寧ぞ傾城と傾国を知らずや 佳人を再び得るは難し」
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※別に本人は傾けなかった
この詩を聞いた皇帝、姉に「こんな歌を聞いたんだけどホントにそんな美人いるの?」
と聞くと、姉公主「それは李延年の妹のことでしょう」と答え、すぐさま妹を迎え入れて寵愛しました。しかし李夫人は早逝してしまい、武帝は深く悲しむことになります。
余談ですが李夫人は別に皇帝に気に入られて狂乱の限りを尽くすなんてことはなく、死の淵の逸話を見る限りでは賢くて家族思いな人物であったと思われます。
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三国志ライター センのひとりごと
あくまで「国を傾けるような美女」として兄が妹を売り込むため、詩にした。その結果、後世では傾国の美女と言えば国を亡ぼす悪女のように言われるようになった。なんとも事実は複雑怪奇なものと言えるでしょうか。
また今回のタイトル、沈魚落雁閉月羞花というのは四大美女のことで、魚が水に隠れ、雁は落ち、月は顔を隠し、花は恥じらい萎んでしまうくらい美しい美女のこと。
しかしその言葉には「美女を認識できるのは人間だけ、他の動物から見れば人というだけで恐れて逃げ隠れし、天体も植物も人の美醜に関係なく自然のサイクルを繰り返している」……という意味もあるそうな。つまり人の美醜を判断するのは結局人であり、動植物も天体もそんなの知らないよってことで。
寧ろ下手に美しく生まれて厄介ごとに巻き込まれるよりは、普通に生まれて身近な周囲の人たちに愛されている方が良いのかも知れませんね。
どぼーん。
参考文献:三国志演義 漢書外戚伝李夫人伝
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