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過激度MAX!王異が戦場で剣をふるった動機は旦那を助けるためだった!

2022年9月17日


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王異

 

戦の陰に女性アリ。三国志演義(さんごくしえんぎ)となると女性の出現率も高く、しばしば戦いの理由の一つとなることもあります。

 

「しかし実際に戦闘に出た訳ではないのでしょ?」

 

いえいえ、実は女性であっても戦闘に参加し、夫をサポートした女性も存在したのです。その女性こそ王異(おうい)、彼女の烈女っぷりを今回はご紹介しましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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趙昂の妻として危険な涼州にいた王異

三国志 剣閣のお城

 

王異は三国志の登場人物です。と言っても、三国志が生まれたのが実質、、呉、蜀が出来上がってからと考えると、王異はまだ後漢、それも末期の人物と言って良いでしょう。

 

夫は涼州(りょうしゅう)趙昂(ちょうこう)。そう、あのとんでもなく血で血を洗うような戦乱の地、涼州の人です。因みに夫との間には息子の趙月(ちょうげつ)を始めとしてもう二人の息子、そして珍しいことに趙英(ちょうえい)という名前が判明している娘がいたとされています。

 

王異はどんな女性?

王異
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病気のふりをして幼い娘を守る王異

反乱を起こす雍闓(ようがい)

 

夫の趙昂が羌道県令(きょうどうけんれい)になった時、王異は子供たちと西県に住んでいました。この時に反乱が起きます。そして王異の二人の息子、趙月を除いた二人の息子が殺されてしまいました。

 

王異は夫への貞節を守るために自害することを考えますが、まだ王異には幼い娘がいたために思い留まり、汚れた麻を身にまとい、わざと食事を絶ってやせ細り、乱暴されないように身を守ります。

 

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五虎将軍になる前の黒馬超が王異の城に攻めてくる

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

後に王異は娘を無事に夫の元に送り届けると、自害しようとするのですが……この時に一命を取り留め、冀県(きけん)で過ごすことになります。しかしやってきたのは212年。反乱を起こしたために父親と弟を殺された馬超(ばちょう)が、羌族(きょうぞく)の兵を集めて冀城(きじょう)にやってきます。

 

この時に王異は自ら弓を使って応戦、更に自分の高価な衣服やアクセサリーを兵士に褒賞として分け与えて指揮を挙げるなど、夫を補佐します。

 

馬超の黒歴史

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馬超特集

 

 

太守の韋康が約束に反し馬超に殺される

楊阜(ようふ)

 

長きに渡った馬超との戦い、救援要請も届かず、ここで涼州刺史(りょうしゅうしし)韋康(いこう)は馬超に降伏することを決めます。これに王異の夫である趙昂、その同僚である楊阜(ようふ)姜叙(きょうじょ)たちは反対。王異も夫の意見に賛成してあくまで徹底抗戦の構えを取りますが、韋康は馬超と和睦を結んでしまいました。

 

しかし降伏を受け入れたはずの馬超は、入城すると韋康を処刑してしまいます。

 

内心復讐を企む楊阜(ようふ)

 

降伏したのに上司を殺害されるという全く納得のいかない結末になってしまった趙昂たち。この時に趙昂は息子の趙月を馬超に人質として差し出し、それ以後、彼らは馬超の配下となることになってしまいました。

 

地獄になってしまった涼州

曹操を絶対殺すマンとしてなった馬超
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潼関の戦い

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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