戦の陰に女性アリ。三国志演義となると女性の出現率も高く、しばしば戦いの理由の一つとなることもあります。
「しかし実際に戦闘に出た訳ではないのでしょ?」
いえいえ、実は女性であっても戦闘に参加し、夫をサポートした女性も存在したのです。その女性こそ王異、彼女の烈女っぷりを今回はご紹介しましょう。
この記事の目次
趙昂の妻として危険な涼州にいた王異
王異は三国志の登場人物です。と言っても、三国志が生まれたのが実質、魏、呉、蜀が出来上がってからと考えると、王異はまだ後漢、それも末期の人物と言って良いでしょう。
夫は涼州の趙昂。そう、あのとんでもなく血で血を洗うような戦乱の地、涼州の人です。因みに夫との間には息子の趙月を始めとしてもう二人の息子、そして珍しいことに趙英という名前が判明している娘がいたとされています。
王異はどんな女性?
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病気のふりをして幼い娘を守る王異
夫の趙昂が羌道県令になった時、王異は子供たちと西県に住んでいました。この時に反乱が起きます。そして王異の二人の息子、趙月を除いた二人の息子が殺されてしまいました。
王異は夫への貞節を守るために自害することを考えますが、まだ王異には幼い娘がいたために思い留まり、汚れた麻を身にまとい、わざと食事を絶ってやせ細り、乱暴されないように身を守ります。
策士だった王異
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五虎将軍になる前の黒馬超が王異の城に攻めてくる
後に王異は娘を無事に夫の元に送り届けると、自害しようとするのですが……この時に一命を取り留め、冀県で過ごすことになります。しかしやってきたのは212年。反乱を起こしたために父親と弟を殺された馬超が、羌族の兵を集めて冀城にやってきます。
この時に王異は自ら弓を使って応戦、更に自分の高価な衣服やアクセサリーを兵士に褒賞として分け与えて指揮を挙げるなど、夫を補佐します。
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太守の韋康が約束に反し馬超に殺される
長きに渡った馬超との戦い、救援要請も届かず、ここで涼州刺史の韋康は馬超に降伏することを決めます。これに王異の夫である趙昂、その同僚である楊阜、姜叙たちは反対。王異も夫の意見に賛成してあくまで徹底抗戦の構えを取りますが、韋康は馬超と和睦を結んでしまいました。
しかし降伏を受け入れたはずの馬超は、入城すると韋康を処刑してしまいます。
降伏したのに上司を殺害されるという全く納得のいかない結末になってしまった趙昂たち。この時に趙昂は息子の趙月を馬超に人質として差し出し、それ以後、彼らは馬超の配下となることになってしまいました。
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