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劉備はヒゲが薄い事を気にしていた?[ヒゲの話で部下を殺した]劉備の怖い地雷ワードを紹介

2023年3月2日


二刀流の劉備

 

劉備(りゅうび)(しょく)(221年~263年)の初代皇帝です。先主(せんしゅ)または、昭烈皇帝(しょうれつこうてい)と呼ばれることもありますが、劉備が有名なので、この記事では劉備で通します。

 

ところで、劉備は髭が生えてないという奇妙な話があります。

 

「ネタが無いからといって、嘘を書くのはやめろ!」

 

確かにネタが見つからないので、いつも泣きたいですけど、嘘ではありません。どうも本当のようです。今回は劉備の髭無し疑惑とそれにまつわる人殺しの話を紹介します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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有名な髭無し劉備 横山光輝『三国志』の劉備

横山三国志 表紙引用

 

まず、有名な髭無し劉備を紹介しておきます。それは横山光輝(よこやま みつてる)三国志』の劉備です。

 

 

これはマンガですので、想像はいくらでも出来ます。ましてや、日本人向けに作ったものなので髭無し劉備がいても仕方ないです。このマンガの中で劉備の髭無し期間は初登場時である中平元年(184年)から建安5年(200年)までです。劉備は24歳から40歳まで髭無しです。昔の人でさすがに、それは無いと思います。

 

曹操(そうそう)にいたっては10代から46歳まで髭無しです。さすがに建安12年(207年)からは生えていました。

 

 

 

実際の劉備は髭が生えていない

土いじりをする劉備

 

さて、マンガの話はこれぐらいにして史実に行きます。建安17年(212年)に劉備は益州の豪族の張松(ちょうしょう)により、益州に招かれました。

 

劉備と張松(ちょうしょう)

 

張松は主人の劉璋(りゅうしょう)に器量無しと見たので、劉備に代わりに主人になってもらいたかったのです。

 

劉備に降伏する劉璋

 

また、劉璋も漢中を治めている五斗米道の指導者の張魯(ちょうろ)と対立していたので、劉備に助けを求めました。劉璋は劉備を歓迎する宴会しました。この時に、劉璋の傍に仕えていたのが張裕(ちょうゆう)という人物です。張裕は立派な髭を生やしていました。どれくらいの髭なのか分かりません。

 

 

関羽

 

関羽(かんう)レベルかもしれませんし、サンタクロースぐらいあったかもしれません。劉備は酒の勢いだったのか、張裕の髭をからかいました。劉備からすればギャグですませるつもりでした。ところが、張裕は劉備が髭が無いことを目の前でマジレスしました。この時に劉備が思ったことは、たった1つでした。

 

(こいつ、いつかマジで殺す・・・・・・)

 

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とりあえず、理由はなんでもよい劉備の腹の中

蜀の皇帝に即位した劉備

 

章武元年(221年)に劉備は皇帝に即位しました。この時点で張裕は劉璋から劉備の部下になっていました。劉備は皇帝に即位すると、張裕を処刑することに決めました。

 

実は張裕は以前、建安24年(219年)の漢中での曹操との戦は、敗北すると予言していたのです。しかし、見事に予言は外れて劉備は勝利しました。劉備はそこを徹底的に追及しました。

 

 

考える諸葛亮孔明

 

諸葛亮(しょかつりょう)は張裕の処刑に反対しました。だが、劉備は諸葛亮の意見でも従いませんでした。結局、張裕は劉備の即位に反対した雍茂(ようも)と一緒に処刑されました。

 

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

今回は劉備の髭とちょっとした発言により、殺された張裕について解説しました。実は彼の予言は、ほとんど当たっているのです。張裕は若い時に自分の死を予言していました。ある日、自分の死について考えて鏡を見たところ〝死刑〟と結果が出たので鏡を割ったという話があります。

 

蜀の外交官・鄧芝

 

ちなみに、張裕は鄧芝(とうし)の出世も予言していました。鄧芝は夷陵の戦で関係が危うい状態になった蜀と呉(222年~280年)の関係を見事に修復した人物です。

 

張裕は鄧芝に「あなたは大将軍になる」と予言しました。その予言は見事に的中して、延熙6年(243年)に鄧芝は車騎将軍(大将軍)になったのでした。もちろん、これらの話を信じるか信じないかはあなた次第です。

 

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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