悲惨!馬超は劉備に帰参した時、本当に馬岱と2人のオケラ状態だった。

2023年4月5日


 

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五虎大将軍の馬超

 

五虎将軍の3番目、馬超。後漢末の群雄馬騰の息子として美丈夫であったと伝えられる彼ですが、曹操に叛いて一族を悉く殺害され涼州を失い、漢中で張魯の世話になる頃にはすっかり落ちぶれ、ついには楊白に害される事を恐れて劉備に降伏します。そして、この逃避行は本当に悲惨で、従兄弟の馬岱と2人だけだったようです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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側室の董氏と息子の馬秋、側近の龐徳まで捨てる

馬超と別れるホウ徳

 

漢中で張魯の客将になっていた時、馬超には董氏という側室と馬秋という息子がいたようです。張魯は馬超との縁組を進めていたものの「あいつは父親を見殺しにしましたぜ」という家臣の事実の指摘を受けて、思い止まっている事から漢中で得た家族ではなく、冀城で皆殺しにされた馬超の家族の生き残りだったのかも知れません。

 

 

馬超と羊

 

 

しかし、馬超は次第に張魯に疎んじられ、張魯の将である楊白に至っては馬超を殺害しようと計画したので馬超は側室の董氏と馬秋、さらに側近の龐徳まで捨てて、従兄弟の馬岱と逃走します。張魯が曹操に敗北した後、董氏は閻圃に与えられ馬秋は曹操に殺害されました。

 

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逃げたあと思案にくれる馬超

蜀では結果が出せない馬超

 

南に逃げた馬超と馬岱ですが、当初は劉備に投降するつもりではなかったようです。最初は劉璋と劉備の戦いの推移を見て、有利な方に就くつもりだったのかも知れません。そんな時、馬超に劉備が成都を包囲したという情報が届きます。これで馬超は劉備につく事を決めて、劉備に密書を出したのです。この決定は馬超の穏やかな晩年を約束したと言えるでしょう。

 

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オケラだった馬超

劉備軍に降伏する馬超

 

正史三国志馬超伝によると劉備は馬超の投降を喜び、馬超は兵を率いてただちに成都城下に至ったと描かれています。しかし、これは変でしょう。この描き方だと馬超には兵がいた事になってしまいます。

 

馬謖を信用していない劉備

 

 

馬超伝を補う典略によると、劉備は馬超が投降してきた事を知ると「我は益州を得た」と大喜びしますが、そこで馬超を足止めしています。そして、ひそかに兵を与えたと描かれているのです。これは、劉備に投降した馬超が完全に着の身着のまま、従者は馬岱くらいしかいないオケラ状態であった事を示していると思われます。

 

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劉備のプロデュースでオケラ馬超が将軍に化ける

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さすがに劉備は世間慣れしています。オケラの馬超が自分達に投降したのでは箔がつかないと思い、ひそかに兵を与えて馬超を一軍の将に仕立てあげたのです。そして馬超も劉備から借りた兵力を持って何食わぬ顔で成都の北を包囲しました。事情を知らない劉璋は、突如として北に出現した馬氏の旗に仰天します。張魯に身を寄せているハズの馬超がなんで劉備の軍に参加しているのかと動揺した事でしょう。そこに狙いすませて馬超が劉備に投降したと連絡が入ります。

 

劉璋にアドバイスをする張松

 

 

劉璋は膝から崩れ落ち、もう抵抗するのは無理だと諦める事になります。劉備はオケラの馬超を一軍の将として飾り立てる事で劉璋への脅しを最大限にして成都を陥落させたのです。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

馬超が劉備を頼ったのは有名ですが、馬超がどんな状態で劉備の下に転がり込んだのかは、そんなに詳細には書いていません。しかし、側室や息子を捨て、長年仕えていたホウ徳まで捨て、劉備が馬超を一度足止めして、ひそかに兵を与えて一軍に仕立てあげた顛末を見ると、ほとんど着の身着のまま、馬超の世話は馬岱がしていたんじゃないかとさえ思えてきます。

 

惨めな境遇まで落ちた馬超ですが、劉備は成都陥落に馬超が果たした役割を忘れず、大事にしました。自業自得とはいえ、ヒドイ後半生でしたが最後のクジだけは当たりくじだったと思いたいですね。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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