馬超と馬岱はかなり年が離れていた?馬岱を養子にしたかも知れない馬超

2022年6月7日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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「ここにいるぞ!」と言いながら魏延を切る馬岱

 

「ここにいるぞ!」と言われてみれば皆さんすぐに思い越すことでしょう。馬超(ばちょう)の従弟、馬岱(ばたい)。某ゲームではこのシーンが「ここにいるよぉ!」と改編され、個人的にはかなり感動しました。

 

さてそんな馬岱ですが、正史において殆ど記述がなく、良く分からない存在になっています。そこで考えてみた「もしかしたら馬岱は馬超の従弟ではなく……」を、今回はお話したいと思います。

 

 

 

 

 

三国志演義の馬岱は馬超の忠実な右腕

三国志演義_書類

 

まずは三国志演義(さんごくしえんぎ)の馬岱をちょっと追っていきましょう。三国志演義の馬岱、かなり出番が多いです。

 

馬騰

 

その登場は叔父、馬騰(ばとう)と従兄弟になる馬超の弟たち、馬休(ばきゅう)馬鉄(ばてつ)と共に許に向かいますが、ここで曹操(そうそう)暗殺計画の露呈によって一族は処刑されます。

 

曹操を絶対殺すマンとしてなった馬超

 

しかし馬岱はこれを何とか生き延び、商人に変装して逃亡、ボロボロになりながらも馬超の元に帰ります。父と弟たち、そして一族を尽く処刑された馬超は怒り、兵を挙げて曹操と戦います。

 

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馬超が蜀に逃亡した時も付き従う馬岱

馬超と別れるホウ徳

 

ですが離間(りかん)の計によって馬超と韓遂(かんすい)は険悪化し、馬超は曹操に敗れてまた落ち延びます。最終的に張魯(ちょうろ)から劉備(りゅうび)の元に馬超は行くのですが、この際に何気に病人だったのでホウ(とく)は張魯のとこに置いていかれいます。しかし馬岱は従兄に付き従い、蜀の地で働くことになります。

 

何気に馬超の死後も出番があり、南蛮、北伐と出番があるのも特徴でしょう。

 

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三国志演義では「ここにいるお!」で魏延を斬る

馬岱

 

そして馬岱の大活躍場面(とても苦労もあった)がやってきます。魏延(ぎえん)諸葛亮(しょかつりょう)の関係が悪化し、諸葛亮は馬岱に魏延を敵ごと殺そうとするも、魏延は生き残り、当然ながらどういうことかと激怒。

 

孔明が気に食わない魏延

 

ここで諸葛亮の説得によって馬岱が全責任を負い、罰を受けて官位はく奪、魏延配下となりました。

 

そして魏延と楊儀(そうぎ)の対立の際に、魏延の「わしを殺せる者がいるか!」という言葉に「ここにいるぞ!」という横山三国志(よこやまさんごくし)後半最大の名シーンの一つと言っても過言ではない場面を挟み、最高の見せ場を見せてくれることとなったのです。

 

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正史の馬岱は記述が少ない

ボロボロになった馬超

 

さて長くなりましたが、正史の馬岱について。前述したように殆ど分かりません。

 

そもそも馬超伝において、馬超の臨終222年に「一族は殆ど曹操に殺されましたが、まだ従弟の馬岱がいます。彼に一族の祭祀を任せますので、どうかよろしく」と出てくるのが初です。

 

牛金

 

その後、馬岱は234年(魏延処罰)と235年(牛金(ぎゅうきん)に敗北)に記述があるものの、それ以降には出てきません。全く謎なのです。

 

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法正

 

 

馬岱は馬超よりかなり年下では?

敗北する馬岱

 

ここで馬超と馬岱の関係なのですが、もちろん従兄弟関係、そして同時に「馬岱は馬超の養子になっていたのでは?」という可能性を提示してみます。

 

まず馬超の年齢ですが、176年~222年、47歳没です。馬岱はこれ以降の235年までは生きていたとすると、馬超よりも年下であるのは間違いありません。

 

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趙雲

蜀に入る以前の史料がないのは馬岱が子供だから

周倉とホウ徳

 

馬岱の生年、没年は分かりませんが、判断材料の一つに馬超とホウ徳の戦歴があります。203年、馬超はホウ徳と兵を率いて郭援(かくえん)討戦を行っています。

 

馬騰

 

ここに馬岱の名前はなく、後、208年の馬騰の入朝において、馬騰は子の馬休、馬鉄を伴っているものの、ここでも馬岱の名前は出てきません。馬騰が甥を伴わなかったのは、まだこの際に馬岱が幼かったからなのではないかとも考えられます。

 

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馬謖

 

 

 

幼い馬超の子を補佐して馬超の養子になる

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

さて典略(てんりゃく)によると、馬超は張魯の元から離れる際に妻子を置いて行ってしまい、息子は後に曹操に殺されたと言います。これが214年として、後に馬超には馬承(ばしょう)という子がいて、この子が馬超伝では222年に父親の爵位を継いだ、となっています。

 

これらを合わせると、馬超は214年に妻子を失って後継者がいなかったので、従弟で年が離れていた馬岱を養子にして後継者とした。臨終の際に馬岱を祭祀に指名したのも養子にしていたためだし馬承という子供がいたので爵位はこちらに。

 

馬超と羊

 

蜀に来て生まれた子と考えるとそもそも馬承は幼過ぎたのも理由の一つ……となるのではないかと思ったのですが、どうでしょう?馬岱は馬超の養子説、結構有り得るのではないかと思います。

 

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蜀漢の滅亡

 

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

全く関係ない余談ですが、筆者は従兄弟たちとほぼ10以上、20近く離れており(全員上です)。何となく「従兄弟はだいたいそれくらい離れている」という意識がありました。

 

なので馬岱が馬超よりかなり長生きしていても不思議はなかったのですが、改めて「馬超死んでから馬岱結構生きているな」と思うと、もしかして年が離れているの?という疑問が持ち上がりました。

 

典略をそのまま考えると、馬超が妻子を置いていったのは既に馬岱がいるからこの子養子にすればいいか……という考えがあったのでは、とも思うのですが、いかがでしょうかね?

 

参考文献:蜀書馬超伝 典略 魏延伝 晋書宣帝紀

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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