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趙雲の死因とは?子龍が遺した功績と影響


 

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京劇コスチューム趙雲

 

 

今回はしょくの名将が一人、趙雲ちょううんの死因についてのお話です。この趙雲ちょううんですが、三国志さんごくしの中でも高い知名度を誇り、更に好き!という人も多い人気の武将の一人です。

 

 

お互いに歌を交わす趙雲と劉備

 

 

しかしいざ三国志さんごくしを紐解き見ていくと、趙雲ちょううんの記述って……という気持ちになる人も少なくはないのではないでしょうか。ですがそんな中でも趙雲ちょううんが後世に何を残したか、それを今回は彼の死因から読み解いてみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志の趙雲の死因は少ない!

正史三国志_書類

 

さてまずは一般的に正史三国志さんごくし、と呼ばれる歴史書、三国志さんごくしの蜀書、関張馬黄ちょう伝の中の趙雲ちょううんの伝を見ていきましょう。趙雲ちょううんの死についての記録は以下の文章になります。

 

「七年卒,追諡順平侯」

 

寿命を全うした70歳の趙雲

 

……少ない!つまり建興7年(229年)、に没し、順平侯の諡を追贈された……これだけです。三国志さんごくしはあくまで記録のための歴史書、とはいっても、これはかなり簡素な記録。とは言え戦死という記録ではないので、おそらく病死では、という想像はできますね。

 

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趙雲別伝に趙雲の死因は載っているのか?

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

そこで趙雲ちょううんと言えば、という存在である趙雲ちょううん別伝の方を見ていきましょう。こちらには趙雲ちょううんに追贈された諡、順平侯についての話を見ることができます。この趙雲ちょううん別伝によるとこれは姜維きょういの上奏によるもので、順は「「柔順・賢明・慈愛・恩恵を有する者」平は「仕事をするのに秩序がある者」「災禍・動乱を平定すること」を称した言葉であり、この諡号が趙雲ちょううん殿には至当、ということです。

 

ポイント解説をするセン様

 

……しかしながら、趙雲ちょううん別伝には趙雲ちょううんの死因について詳しい記録はありません。

 

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三国志演義では趙雲はどんな死因を遂げたのか?

三国志演義_書類

 

それならば、見てみることにしたのは三国志さんごくし演義!三国志さんごくし演義はあくまで小説ですが、ここでどのような死因とされているかも気になる所ではないでしょうか。エンターテインメントの三国志さんごくし演義では病死とされた武将でも華々しい死に場所を用意したとばかりに戦死にされていることが多いのですが、では趙雲ちょううんは?

 

 

孔明(諸葛亮)から重宝される趙雲

 

 

と、結果を知っている人も多いでしょう、趙雲ちょううんの子供たちが諸葛亮しょかつりょう趙雲ちょううんが死んだことを伝えて退場です。三国志さんごくし演義ですら趙雲ちょううんは死因不明、というか、おそらく病死、という演出です。ここにどういった意図があるのか?という所で、ある「趙雲ちょううんの死因」をご紹介しましょう。

 

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諸葛亮

 

 

 

驚きの趙雲の死因、妻によって殺害された

趙雲と孫夫人

 

ここで民間伝承による、趙雲ちょううんの死因をご紹介します。なんとこの死因「趙雲ちょううんの妻によるもの」なのです……!とは言っても愛憎渦巻くドロドロしたものではなく、

 

孫夫人と趙雲

 

「長く戦いの中に身を置きながら体に傷一つなかった夫に驚いた奥さんが、戯れに刺繍針で趙雲ちょううんの体を突いた所、血が止まらなくなり趙雲ちょううんは死んでしまった」

 

 

というお話……つまりこの民間伝承を信じると、趙雲ちょううんは出血死が死因となるのです!

 

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趙雲の死因、ある武将との共通点

趙雲

 

いくら民間伝批みんかんでんしょうとは言っても、驚きの死因ではないでしょうか。戦で深手を負ってからの出血死、ならば往々にしてありそうではありますが、刺繍針ししゅうばりで突いたら出血死、と言われるとそんなことって?と思ってしまいますね。

 

三国志を語るセンさん

 

これは趙雲ちょううんが何やら謎の奇病にかかっていたのか、それとも晩年に免疫不全的めんえきふぜんてきな状態であったのか……色々と考えを巡らせたくなりそうですが、ここで一つ思い出してほしい日本にほんの武将がおります。

 

 

生涯無傷、万夫不当の豪傑にして忠臣

イケメンすぎる本多忠勝

 

「家康に、過ぎたるものが二つあり」そう謳われた花も実もある猛将にして忠臣、本田忠勝ほんだただかつ。彼はその生涯において大小合わせて57回の合戦に出陣するも、一度も傷を負ったことがなかったと言います。

 

本多忠勝の単騎駆け

そんな本田忠勝ほんだただかつの逸話に「死ぬ数日前に小刀で指に掠り傷をおい、自分の士気を悟った」というものがあるのです。生涯に傷を負わなかった人間がたった一つの傷を負い、そこで生涯を終わらせた。そこには色々な含みがあると思いますが、筆者はそこに「人々の夢」があったのではないかと考えました。

 

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趙雲の死因が出血死だった理由

徳川家康と共に武功を重ねる本多忠勝

 

長い戦いの中で一つも傷を負わなかった、それは勇将であり、猛将であり、名将であり、そしてどこか「人ではない」何かを感じさせます。事実、関羽かんうのように死後、神へと至った武将も数多くいましたね。しかし彼らは、たった一つの傷で死んでしまった。それは人ならば、誰でもあり得ることです。

 

劉備を徹底サポートする趙雲

 

趙雲ちょううんとは、そういった存在だったのではないでしょうか。とても優秀で、主に長く使える忠臣で、どこまでも瀟洒で、数多の戦場で無敗で。それでありながら、人のようにたった一つの傷で命を落とす。民間伝承みんかんでんしょうに込められたのは、もしかしたら趙雲ちょううんもまた「人」である、という考えではないかと思うのです。しょくを長く支えた名将、まるで欠点がないような人物、されども、間違いなく人であった。

 

男気溢れる趙雲

 

人々は趙雲ちょううんを敬愛し、尊敬し、それで尚、もしかしたらあのようになれるかもしれない。そういう一線を趙雲ちょううんに抱いたからこそ、趙雲ちょううんの死因に「出血死」があるのではないかと思ったのです。

 

民間伝承の三国志

 

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

割と関羽かんうやら張飛ちょうひやら。問題点を抱えている武将たちの中で、趙雲ちょううん劉備りゅうびと長い付き合いながら大きな問題は起こさず、しかしずっと真摯に仕えていた極めて優秀な武将であると思います。

 

三国志を楽しく語るライターセン様

 

そんな趙雲ちょううんは人々の憧れであり、それでいて人から離れすぎない、目標のような、人生の指針のような存在だったのではないでしょうか。

 

センさんが三国志沼にドボン a

憧れはしても、どうかいつか届くような存在であってほしい。趙雲ちょううんの死因から、そんな人々の思いを考えてみた筆者でした。どぼーん。

 

参考:蜀書趙雲伝 趙雲別伝

 

趙雲

 

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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