黄忠の死因とは?老黄忠の死因が三国志演義とは違う?

2023年8月11日


 

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亡くなる黄忠

 

今回は三国志さんごくししょく武将ぶしょうの一人、黄忠こうちゅうの死因についてお話します。まず断っておきますが、正史せいしと呼ばれる三国志さんごくしと、三国志さんごくし演義では度々死因が違う人物が存在し、そして黄忠こうちゅうもまたその一人です。

 

戦場で尊敬される黄忠

 

これは歴史の記録とエンターテインメントの違い、とも言えますが、黄忠こうちゅうにはただそれだけではない思い入れを感じさせる描写が三国志さんごくし演義には込められているのです。少なくとも、筆者はそう感じました。その点に注目しつつ、黄忠こうちゅうの死因について紹介していきたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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歴史書「三国志」の黄忠の死因とは?

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さてまずは正史せいし三国志さんごくしの方を見ていきましょう。

 

「明年卒,追諡剛侯」

 

翌年亡くなり、剛侯の諡を追贈された……黄忠こうちゅうの死についての記録は、これだけです。

 

関羽の青銅像

 

あくまで正史せいし三国志さんごくしは歴史書、なので記録に過ぎないのですが関羽かんう張飛ちょうひ馬超ばちょう趙雲ちょううんと共に立てられている伝では、黄忠こうちゅうの記録はかなり簡素です。

 

趙雲

 

 

趙雲ちょううんもかなり簡素ですが、趙雲ちょううん趙雲ちょううん別伝が注釈として入っている分、黄忠こうちゅうの方が簡素に見えてしまうんですよね。

 

 

一番高い可能性としては、病死か、老衰か

正史三国志_書類

因みに翌年、とありますがこれは220年のことです。また黄忠こうちゅうには子供がいたようですが、この子は早世していたため、黄忠こうちゅうの家は断絶したようです。

 

五虎大将軍の黄忠

 

黄忠こうちゅうの家が断絶したことが、正史せいし三国志さんごくしにおいて趙雲ちょううんのように注釈が入る部分がなくなってしまい、簡素に見えてしまう原因の一つかもしれません。ともあれ戦死という訳ではないことから、病死、もしくは年齢による死亡ではないか、というのが黄忠こうちゅうの死因の予想です。

 

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黄忠は、本当に「老将」であったのか?

弓の名人・黄忠

 

ここで一つ、もう一度考えたいのが黄忠は本当に老将であったのか、ということ。三国志演義では正に「老いて益々盛ん」なスーパーおじいちゃん黄忠ですが、正史でも本当に老将だったのか?黄忠の年齢は生年が不明なためはっきりとは分かっていませんが、正史にこのような記述があります。

 

劉備軍で出世する魏延と黄忠

 

劉備は漢中王になった時、黄忠を後将軍に任命しようとしました。

 

黄忠と同列になることにくキレる関羽

 

そこで諸葛亮が「張飛殿や馬超殿たちは黄忠殿の活躍を見ているので文句は言わないでしょう、しかし荊州の関羽殿は納得しないでしょう」と言います。この諸葛亮の不安は的中し、関羽は「老将と同列の前将軍だと!?」と怒るのですが……少なくとも、関羽から見て老将、という年齢だったことが分かります。

 

三国志演義_書類

 

ただこのシーン、三国志演義でもそのままなので、三国志演義の関羽と黄忠の関係からみるとちょっと違和感があるシーンでもあるんですよね、余談ですが。

 

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三国志演義の黄忠の死因

三国志の武器 床弩 黄忠

 

では三国志演義の黄忠の死因というと、戦死です。その死に様は中々に涙を誘い、英雄の最期、そして英雄譚の終わりに近付いていくような悲痛さが感じさせられます。

 

関興と張苞

 

三国志演義の黄忠は、夷陵の戦いにも参戦しています。しかし夷陵の戦いに向け、父親の仇を討たんと参戦してきた張苞、関興といった若い武将たちの活躍を称え、老兵たちを軽んじる発言をしてしまいました。

 

蜀の老将コンビ黄忠と厳顔

 

これに何かを感じたのか黄忠は僅かな手勢を率いて出陣、呉の潘璋を見つけ関羽の仇を討たんと攻め寄せるも、馬忠の放った矢を受け、この傷が元で戦死となりました。軽んじられ、功を焦っての無謀な死だったのか。老体に無茶をしての死となったのか。無理であっても、戦場での死を望んだのか。また弓矢の名手とされる三国志演義の黄忠の死因が、矢を受けての……というのも、何だか悲痛な気持ちになりますね。

 

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三国志演義の黄忠が与えた影響

黄忠

 

ここで三国志演義の黄忠について少しお話をしましょう。

 

黄忠VS夏侯淵

 

黄忠が元は韓玄の配下であったこと、その後、劉備の入蜀の際に活躍をすること、そして定軍山での活躍などは事実ですが、関羽との互角の一騎打ちなどは三国志演義の創作です。

 

青龍偃月刀を持つ関羽

 

この老将でありながら関羽との一騎打ちを互角に、更にはお互いを武人として認め合う一幕もあり……三国志演義の中でも、かなり印象に残る、ロマンとドラマを含んだシーンなのではないでしょうか。事実、どちらかというとこの三国志演義の黄忠のイメージの方が、黄忠、として人々の心に強く残っているのです。

 

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「老いていよいよ壮」

頑固ジジイで戦場に出たい黄忠

 

老将なれど武勇に優れ、名将の一人として活躍し、そして忠義に溢れた武人。中国では老いて益々盛んである人をこの三国志演義の黄忠のイメージから、老黄忠と呼ぶと言われています。この年をとって尚、というのは何も黄忠が最初、という訳でなく、後漢書の馬援伝で

 

「男子たるもの苦しいときには意志を強く持ち、老いてはいよいよ壮(さかん)でなくてはならない」

 

と語るシーンがあります。このように古代中国では、年を取って衰えるのではなく、益々壮健さを増すかのような逞しさが男子には求められていたのでしょう。そしてそれを体現したような人物が、黄忠、という訳です。

 

黄忠の生涯と死因

はてなマークな劉備と袁術

 

実際に黄忠がどのように亡くなったかは、正史では分かりません。しかし記録にないため、戦死ではなかったのでしょう。ではその黄忠を戦死としたのは、人々の願いの体現もあったのではないでしょうか。

 

五虎大将軍b 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

事実、関羽や張飛、趙雲や馬超と並び立った黄忠。老将呼びされているので、恐らく彼らよりも年かさであったのは確定でしょう。

 

そんな人物に、布団の上で死んでほしくない!……というと、ちょっと酷いかもしれませんが。あくまで戦いの中で、若者に最期まで負けないという意地を見せながら、そして主君である劉備に看取られて。老将戦場に死す。その姿、老いて益々盛ん。戦死という死因は黄忠に付けられた、最大限の賛辞であったのかもしれませんね。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

前述したように、正史の黄忠もしっかりと活躍し、蜀の国に貢献しているのですが。それでも、家計が断絶したからなのか、その記録はやや簡素に見えてしまいます。

 

しかしそこからどう黄忠というキャラクターを膨らませるか、で、関羽と交流をさせたというのは、ある種名采配ではないかと思います。そうして老黄忠という言葉まで生まれるほどに愛され、誰もがそういう風に年を取っていきたいと願ったとするなら。

 

センさんが三国志沼にドボン b

 

黄忠というのは、理想の年の取り方をした武将だったのかもしれませんね。どぼん。

 

参考:蜀書黄忠伝 後漢書馬援伝

 

 

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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