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[暴露]晋の皇帝を操った男、荀勗:その真実に迫る!

2023年9月2日


荀勗(じゅんきょく)

 

後漢時代に「司空(しくう)」という位についた荀爽(じゅんそう
)
を曾祖父に持つ荀勗(じゅんきょく
)
。家柄の良い生まれでした。

 

田畑政治 いだてん

 

現在の日本でいうところの大臣に就任し、皇帝からも頼りにされるようになります。やがて、(しん)にとって重要な地位に上りつめるのです。ここでは大臣となった荀勗(じゅんきょく)のストーリーについて紹介していきます。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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荀勗の曾祖父は「司空」というブルジョワジー

荀イクの叔父・荀爽

 

後漢時代に司空というそれはそれは高貴な官職がありました。日本の官房長官やアメリカの副大統領に匹敵するパワーを持っていたのです。

 

荀イクの叔父・荀爽(三公)

 

その司空(しくう)に就いていた「荀爽(じゅんそう)」が荀勗のひいおじいさんでした。つまり、幼い頃から朝廷の内外を行き交うことができたのです。

子どもながらに朝廷のシステムや争いなども目にすることができました。

 

 

 

反乱を起こした鍾会は親戚のおじさん!?

鍾会

 

王朝が変わりつつある世の中において、次のエンペラーは誰になるだろうかという議論がなされていました。すると「鍾会(しょうかい)」が()に対して反乱を起こします。しかし、クーデターの首謀者・鍾会は、荀勗の伯父に当たる人物でした。

 

鍾会を説得する姜維

 

世間では反逆者の烙印を押されますが、荀勗にとっては小さい頃に世話になった親戚のおじさん。自分にまで手が回ってくるのは必死です。

 

司馬昭

 

急いで司馬昭(しばしょう)とともに長安(ちょうあん)(現在の西安(せいあん))を脱出します。

 

 

呉への手紙は一騎当千!

解煩督 呉

 

西暦264年。鍾会の乱を平定させた魏、残るは江東(こうとう)の虎・()です。

 

羊コ 羊祜 魏と晋

 

荀勗は司馬昭とともに洛陽(らくよう)の地へと向かいます。理由は裴秀(はいしゅう
)
羊祜(ようこ)らと「秘密会議」を開くためです。いうならば三国時代のヤルタ会談、次の一手をどう打つか決める大事なシーンに荀勗は同席していたのです。

 

そこで彼らは使者を呉に派遣することにしました。

 

王基の進言を採用する司馬昭

 

司馬昭は呉への使者に持たせる手紙を文士・孫皓にも書かせますが、採用したのは荀勗の書いた手紙。結果、呉は魏に従うことになりました。司馬昭は「よくやった。おぬしの書いた手紙は10万の大軍にも勝る!」と絶賛します。

 

王基に感謝する司馬昭

 

ほどなく司馬昭は晋王となり、荀勗は「侍中」の位に就きます。手紙一つで大出世です。

 

司馬炎(はじめての三国志)

 

その後、禅譲(ぜんじょう)を受けて晋の皇帝となった司馬炎(しばえん)の側近となり、朝廷内で権力を握るようになります。

 

 

降格のきっかけは失言!?

幼い司馬衷

 

皇帝の司馬炎には「司馬衷(しばちゅう)」という子どもがいたのですが、皇太子の器ではなく頼りない人物でした。次の皇太子にふさわしい人物がいないことに司馬炎は四六時中、頭を悩ませていたのです。

 

思い立った皇帝は「荀勗」と「和嶠(わきょう)」の二人を離れに住んでいる皇太子・司馬衷の元に向かわせます。朝廷に戻った二人、報告内容に違いが生じます。荀勗は「司馬衷様は素晴らしい逸材です」とほめそやし、和嶠は「司馬衷様は相変わらずのご様子です」と見たままを報告。

 

皇帝は荀勗を見下げ、和嶠のことを尊敬するようになります。荀勗と皇帝との間に確執が生まれた瞬間でした。

 

荀勗のその後…

 

やがて、荀勗は小さなことにも慎重になり、態度を改めます。しかし、弟の荀良からは「あなたはすでにみなの信頼を失っています。

良い行いをしなければ、地位を回復することは難しいでしょう」と言われてしまいます。

 

これには答えず、弟が去ってから子どもたちに漏らします。

「大臣というのは秘密を守れなければ、自らの身分を失ってしまう。

朝廷に背いてはならない。息子たちよ、慎重に行動しなさい」

 

しばらくして、荀勗は尚書令に格下げされます。

これは朝廷の機密に関われなくなったことを意味するのです。

例えるなら、CIA長官から州の保安官になったようなもの。

 

もともと尚書令は軍事機密を握っている役職でしたが、晋の時代にはその役目を中書令が担っています。

内心、荀勗は悔しがったことでしょう。

 

三国志ライター上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

趙雲(ちょううん)関羽(かんう)が武で三国志を盛り上げた人物ならば、荀勗は文才で晋の皇帝を支えた人物。

華やかな武勇伝こそありませんが、探っていくと相当な人物であったことがわかります。

 

武将のようなキャラクターは小説やゲームにも映え、名を挙げます。しかし、荀勗のような人物は、さほど注視されません。

三国志のゲームで荀勗が手紙で攻撃してたら、面白いですね。

 

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上海くじら

上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

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