今回は、蜀の謎多き武将、馬岱を巡るイフ展開を考えてみたいと思います。そうです!あえて馬超ではなく、イトコの馬岱の話です。
「謎が多い」というのは、馬岱というこの人物、実は『正史三国志』に独立した「伝」が立てられていません。「馬超伝」はあるのですが、「馬岱伝」はないのです。それゆえ、どうにも詳細が不明です。
ですが、正史側に記述が少ないということは、わずかな手がかりを土台に、様々な空想を膨らませられる人物ともいえますよね。そこで今回は、あえて馬岱という人物を使って、大胆なイフ展開を検証してみましょう。もし馬岱が、馬超が脱出したあとの西涼軍を率いて曹操と戦い続けたら、どうなっていたでしょうか?
この記事の目次
まずはおさらい!馬超と馬岱が握っていた西涼の軍勢とは?
西暦でいう211年。反曹操をかかげて決起した馬超が率いる西涼の軍勢10万が、曹操軍と対峙することになりました。いわゆる、潼関の戦いです。この時、総大将である馬超のイトコの馬岱も、西涼軍の中の重要なポジションにいたものと思われます。
史実では、馬超軍は曹操軍との戦いで敗れ、馬超は馬岱を連れて逃亡し、益州にいた劉備に投降して、劉備軍に迎え入れられることになります。しかし、この潼関の戦いをよく思い出してみましょう。
この時期に、十万の軍勢を組織して軍事行動を起こせる勢力など、劉備や孫権くらいしか他には思いつきません。むしろ、三国志の歴史を追っていた人は、劉備・孫権・曹操でほぼ三つ巴の構図になってきたと思ったところに、唐突に馬超という第四の勢力が大軍を抱えて出現するので驚いたのではないでしょうか。そして、ハッキリ言いましょう。
この潼関の戦いで、馬超は、あと一歩で曹操を討ち取れるところまで迫ったのです。曹操自身の命が危なくなった戦いなど、かの赤壁の戦いの以降では、もはやこの潼関の戦いくらいでしょう。この西暦211年の段階では、曹操を倒せる可能性を持っていた人物としては、馬超の存在はむしろ孫権や劉備よりも上だったのではないでしょうか?
そう、潼関の戦いは、とことん、惜しかった!
そんな馬超軍はなぜ負けた?それは曹操側が「離間の計」を仕掛け、西涼軍の二大巨頭である馬超と韓遂の仲を引き裂く工作をしたから、とされています。曹操に対してかなり良い感じで攻めていたのに、大将どうしがあっけなく計略にかかっての内部崩壊とは!劉備や孫権でもなし得なかったほどの脅威を曹操に与えておきながら、なんと惜しい!
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総大将脱落で崩壊した軍ならば馬超でも韓遂でもない人がもう一度まとめればいいじゃない!
しかし、ここでひとつ、考えてみましょう。馬超軍は、計略にかかって内部分裂を起こしたところを猛襲され、霧散した。すなわち総大将がいなくなったために、せっかくの十万の軍勢がよりどころを失って散っているだけの状態です。
この時、「馬超でも韓遂でもない」フレッシュなイメージの誰かが、「自分がリーダーになる!皆、踏みとどまれ!」と号令を出し、十万の軍勢を再結集させたら?曹操の勢力圏から離れた西涼で再び組織を建て直したら?なんと、十万の兵団の数は復活し、「第二次潼関の戦い」のチャンスが出てくるのです!
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それができる者がここにいるぞ、馬岱!
ここで名前がピックアップされるのが馬岱です。先ほど「正史には馬岱の記述が少ない」と言いましたが、そのわずかな記述をたどると、馬岱の名前は以下のような場所で出てきます。
・馬超が死に際して「自分の後継者は自分の子ではなく、イトコの馬岱がふさわしい」と遺言した
・諸葛亮の死後、不穏な動きを見せた魏延軍を馬岱軍が追跡し、見事に魏延を討ち取った
この二カ所だけでも、馬岱が馬超に後継者として認められていた才覚の持ち主だったこと、そして魏延とガチで戦っても勝てる戦闘指揮能力があったことがわかります。さらに想像をたくましくするならば、馬超がわざわざ実子よりも馬岱を後継に考えていたというのは、羌族の血を引く馬超の発想として「一族の中で最も軍事能力に秀でた者」が馬岱だと考えていたのでは?
馬超も一族の中で一番と認めていた馬岱なら、馬超離脱後の軍を再結集することは可能だったのでは?
まさに、馬超が「わしの代わりができるものがあるか!」と言えば、「ここにいるぞ!」と颯爽と現れる男、馬岱!そして西涼で再軍備が成った頃の馬岱軍は、第二次潼関の戦いは単独で挑まなくてもよいかもしれない。
その頃には蜀の劉備軍が漢中方面に進出する。そこで馬岱軍が南下し、劉備と共同戦線を張れば、かなり魏を追いつめることができたのでは?馬岱が蜀の一将軍として埋もれているよりは、西涼の独立兵力として劉備軍と同盟を組んでくれたほうが、史実の馬岱よりもずっと、蜀の為にもなったのではないでしょうか?
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まとめ:馬岱がいちばん困るのはイトコの突然の復帰?
ともあれ、このシナリオには問題があります。史実では、馬超と馬岱が劉備軍に投降しました。今回のイフ展開では、馬超だけが劉備軍に投降しており、馬岱は西涼で旧馬超軍を再組織しています。この構図で、もし馬超が、せっかくいい感じで馬岱が盛り返したところの西涼に帰ってきたら、どういうことになるのでしょうか?
「よお馬岱!よくぞ私の軍勢をここまで再建してくれたな!後は俺が総大将として復帰する!ご苦労だった!お前は副将になれ!」とひょっこり馬超が言ってきたら?これは難しい!一族の顔を立てるなら、馬超を再度、総大将に据えるのもよいが、一度は負けた将を再度、総大将にして、第一次潼関の戦いで傷ついた諸将が納得するかどうか。
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三国志ライターYASHIROの独り言
すべては、馬超と馬岱の人間関係がどうであったか次第。馬超と馬岱が胸アツの絆で再び手を取り合い、曹操を脅かすのか?せっかく再建された西涼軍で、今度は馬超と馬岱の「離間」が内部分裂の火種となるのか?これは、馬超と馬岱という二人のキャラクターをどういう人物とみているかによっていろいろな考えがあり得るところですので、ぜひ、皆様に続きの想像を委ねたいと思います。
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