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[曹操の裏側]実はドケチ?金持ちの意外な一面

2024年3月6日


 

どケチな曹操

 

三国志演義』は貧乏の家に生まれた筵売り・劉備(りゅうび)が、金持ちのボンボン・曹操(そうそう)に対抗するという構図によって庶民の心を惹きつけていると言われる小説ですよね。

 

悪徳役人の8割をクビにし邪教の祠を叩き壊すなど真面目に役人をやっていた若き曹操に惚れる周旌

 

一億総中流という言葉が生まれてから既に何十年も経った現代の日本でも、未だに金持ちボンボンに対しては良いイメージはなく、貧乏でも頑張っている人を応援したくなるという人が多いのではないでしょうか。というわけで、未だににっくき悪役として人々の心に君臨し続ける曹操ですが、実は彼はボンボンとは思えないほどケチな人物だったようです…。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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金持ちウハウハボンボンライフを満喫

金持ちウハウハボンボンライフを満喫する曹操

 

曹操は後漢代に活躍した宦官(かんがん)曹騰(そうとう)の孫にあたる人物です。「宦官の…孫?」と疑問に思う人もいるでしょう。たしかに、宦官であったため曹騰には生殖(せいしょく)能力はありませんでした。しかし、曹騰はその功績が讃えられて特別に養子をとることが許されたのです。そんな曹騰が自らの子として選んだのが、一族の中で一番の孝行者・曹嵩(そうすう)でした。

 

曹嵩は父の威光によってトントン拍子に出世していき、着々と財を蓄え裕福になっていきました。そして、そのお金で曹操をはじめとする子どもたちに何不自由ない暮らしをさせていたと言います。もしかしたら曹嵩は、「宦官の孫」と馬鹿にされるであろう子どもたちの心を憐れみ、せめて物質的には豊かな思いをさせてあげたいと思っていたのかもしれません。

 

 

 

パパの援助で反董卓連合に参加

パパの援助で反董卓連合に参加する曹操

 

曹操は父の思いを知ってか知らずか、ボンボンらしくウハウハな幼少期を送っていたのだそうです。そんな曹操も幼少期は父と同じく漢王朝に仕えることになるのだろうと思っていたことでしょう。しかし、ご存知の通り曹操は後漢末の動乱に身を投じていくことになります。

 

暴れまわる黄巾賊

 

黄巾の乱で名を挙げたことにより、出世街道まっしぐらかに思われた曹操でしたが、宦官暗殺計画だの何進(かしん)が返り討ちに遭うだのといったすったもんだがあり、挙句の果てに袁紹(えんしょう)らによって宦官が皆殺しにされて董卓(とうたく)が実権を握ってしまったからさぁ大変。

 

出世もへったくれもなくなってしまったのです

 

しかしそこに反董卓連合軍の話が舞い込んできます。曹操は頼りになるパパ・曹嵩から巨額の資金援助を受け、他の者たちに遅れを取らずに駆け付けることができました。曹操は董卓をやっつけようと奮戦するのですが、何だか周りの空気がおかしい…。孫堅(そんけん)によって董卓が長安に逃げると、袁紹と袁術(えんじゅつ)が争い始めて反董卓連合軍は空中分解。曹操は「やってられん」と早々に脱退し、兗州(えんしゅう)で爪を研ぐことにしたのでした。

 

 

兗州で終わりの見えない節約生活を強いられる

村人

 

曹操は豊かな兗州の地を拠点としてライバルたちを蹴落としてやろうと考えたようですが、何度も何度も戦を繰り返していくうちに、兗州の地は見る影もなく痩せていってしまいました。

 

戦死して耕す者がいなくなった田畑は荒れ果て、曹操軍は食糧の供給すらままならない状態に陥ります。せっかく有利に進めていた戦も食糧不足のために撤収せざるを得なくなったり、兵たちの不満が爆発したりともう滅茶苦茶。この状況を打破すべく曹操は屯田制を導入するに至ったわけですが、それまでは曹操自身も爪に火を灯すような節約生活を強いられていたようです。

 

常に食糧危機に怯えて暮らさなければならなかった兗州時代の生活は幼少期にボンボンライフを送っていた曹操には相当こたえたらしく、その反動のためかジリ貧生活から抜け出してもケチケチ大魔王として君臨することになったのでした。

 

 

後宮の女たちにも節約生活を強いる

曹操

 

化粧箱を覆う布が擦り切れるまで使ったり偉くなっても皮弁(ひべん)という簡素な帽子をかぶったりとケチケチエピソードに事欠かない曹操ですが、なんと男の臣下たちだけではなく、後宮の女たちにも節約生活を強いたのだとか。

 

一髪、二化粧、三衣装と言われる美しい女になるための3つの要素がありますが、曹操は「三衣装」をバッサリ斬り捨てます。布の節約のために裾の長い衣装を禁止したのです。しかし、それだけではありません。なんと娘たちの嫁入り道具もケチり、皇后の実家への支援もケチっていたといいます。女性たちからはブーイングの嵐が巻き起こっていたことでしょう…。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

しかし、曹操はただただドケチだったわけではないようです。大切な配下への恩賞や恩を受けた人への謝礼などにはこれでもかというくらいお金を使っていました。そして最期に「自身の墓には余計な金品を入れるな」と言って世を去った曹操。おそらく曹操は金の使いどころを誰よりもわきまえていたのでしょう。

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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