蒼天航路以来、曹操の魅力に取りつかれた人々を曹操孟徳(そうそうもうとく)オタク、
略してモーオタと言います。
しかし、4000年の歴史を持つ中国ではモーオタは遥か昔から存在していました。
そして、元祖モーオタは、陸遜(りくそん)の孫だったのです。
この記事の目次
元祖曹操オタク、陸雲とは何者か?
最初のモーオタ、陸雲(りくうん:262~302年)は、字を士龍(しりゅう)
といいます。父は、呉の名将、陸抗(りくこう)、祖父は蜀キラー陸遜という名門の出です。
6歳で文を能くしたという程の秀才であり、呉随一の文学者でした。
277年16歳で呉に仕官しますが、すでに呉は滅亡寸前、
3年後には、呉帝、孫晧(そんこう)は晋の司馬炎(しばえん)の前に降伏してしまいます。
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呉の滅亡にショックを受けた陸雲と陸機は故郷に引きこもる
呉の滅亡は、19歳の少年には、ショックが大きい事でした。
そこで晋にはすぐに仕える事なく、兄の陸機(りくき)と共に故郷に引きこもり、
晴耕雨読の日々を送る事10年の長きに及びました。
陸雲、陸機、晋の官僚に仕官する
二人にとっては、幸いなことというべきか、晋の武帝司馬炎(しばえん)は
融和的な方針で蜀や呉の旧臣にも仕官の門戸を開いていました。
その縁で陸雲も陸機も、10年の後に晋に仕官する事になります。
二人は、長江を上って洛陽に入りますが、その都のスケールのデカさに
度肝を抜かれてしまう事になります。
「な、なんだべ、このデカイ建物は、、こんな凄い国の基礎は、
いったい、誰が造り出したんだべか!!」
二人は、統一国家、晋の偉大さにすっかり魅了されてしまいました。
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陸雲、晋の母体になった魏の曹操の偉大さに触れて、モーオタになる
陸雲は、晋の官僚として仕事をしている間に、晋の母体になった魏、
そして、その魏を建国した曹操について知る事になります。
曹操は、陸雲が産まれるよりも42年前に死没した人ではありましたが、
その事績を調べるにつけて、陸雲は曹操を激しくリスペクトするようになり、
次第にモーオタの本性をあらわすようになります。
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