はじさんでは、諸葛孔明が過労でぶっ倒れたという記事を載せましたが、多かれ少なかれ、国政を担う者には過重な負担がかかるものです。例えば、孔明の陣没を喜んだ司馬懿もクーデターが遅すぎたのか、晩年は満身創痍でかなりしんどい事になっていました。
この記事の目次
身体壮健な司馬懿も晩年は出仕も出来ない有様に
曹操に仕える事を嫌がり中風(脳血管障害)を理由に出仕を辞退した司馬懿。しかし、それは嘘だったようで、軍を率いて一か月かかる道のりを8日で踏破して、油断していた孟達を滅ぼしたり、困難以外の何物でもない諸葛亮の北伐に、根気よく付き合い一度も疲労で倒れた様子がないなど壮健ぶりを見せます。ですが、どんなに壮健でも寿命が限られる人間の事、どこかでガタが来ます。司馬懿の場合は、それが晩年にやってきました。
本当に中風に罹り健康を害していた司馬懿
司馬懿と言えば、曹爽の猜疑心を解くためにわざと耄碌したふりをしたという逸話があるのですが、頭はボケていないとしても身体的にはかなり衰えていたという事はあるかも知れません。
高祖宣帝紀によると、249年の正月、曹爽一派が曹叡の墓参に都を出た後、司馬懿は天文の不吉を理由に永寧太后に上申して曹爽の官位を奪い、また軍権を掌握して洛陽に戒厳令を敷くわけですが、そんな司馬懿、宮門を出て近くにあった曹爽の屋敷を通過する際に曹爽に仕えていた厳世という家臣に櫓から弩で狙いをつけられます。
しかし、これを孫謙という部下が何度も制止してついに弩は発射されなかったそのような逸話なんですが、司馬懿ともあろう男が当然考えられる曹爽邸からの攻撃に無警戒であった事が驚きです。頭がボケていたとは思いませんが、司馬懿は明らかに身体を損ない無理を推して戦っていた為に、注意力が衰えていたのではないでしょうか?または、体力が無く騎馬ではなく車で進軍したので天蓋に視界を遮られ櫓からの狙撃に気が付かなかったかも知れません。
こうしてかんがえると曹爽一派の李勝が病気見舞いに行った時に、司馬懿が粥をこぼしたり、水が飲めないというのもオーバーに演じたかも知れませんが実際にあった症状かも知れません。
宮中に参内できず皇帝が司馬懿の屋敷に来る事態
曹爽一派を処分した司馬懿は、250年には洛陽に司馬家の廟を立てる事を認められ息子達を侯に封じるなど、権力の中枢に立ちます。しかし、一方で健康は増々損なわれており、宮廷に出仕する事も出来ず、皇帝曹芳が重大案件については、自ら司馬懿の屋敷を尋ねて相談する事になります。このような態度が政敵からは専横と取られ、反司馬氏の雰囲気が醸成されますがもし実際に司馬懿の体が悪かったとしたらどうでしょう。
お付きに体を支えられ、よろよろと参内する司馬懿を周囲が見たら(司馬仲達は長くない、今が謀反のチャンス)と反司馬勢力が続々と出現するかも知れません。それよりは専横の誹りを受けても、自分は自宅でベットで体を起こして皇帝と極秘に会談し動静を見せずにいる方が反司馬氏の勢力を牽制出来ると考えたのではないか?そんな風に思えます。
無理を押して王淩の反乱を鎮圧し死の床につく
251年の春、重臣の王淩が甘城で反司馬の狼煙をあげ、呉が涂水に砦を構えている事を理由に兵を起こす事を洛陽に打診します。司馬懿は王淩の計画を見抜いていてこれを拒否さらに夏四月には自ら中軍を率いて船を浮かべ流れに沿って進み九日に甘城に到着しています。
こうしてみると、軍を率いれる位だから司馬懿は元気に見えますが実際には船を使用している点に注目すべきでしょう。陸よりは遥かに揺れず、また広いスペースが取れる船だからこそ、司馬懿は寝たまま移動でき、多少無理が出来たとも考えられます。王淩も「私を呼びつけるなら書簡でいいのに、どうして自ら来られた」と驚いている点を見ると、司馬懿の体調がかなり悪いのは、この時点で周知の事だったのではないでしょうか?
そして同時に司馬懿が直接来る以上、計画はすべてバレていると王淩は悟り、洛陽に向かう途中で自殺したのでしょう。
無理が祟り、8月に死去
王淩を討伐してから司馬懿が死ぬまで4か月しかありません。六月には病の床に就き、夢に賈逵と王淩が出てきて怯えまくるという死の直前テンプレの描写があった後、8月戊寅に死去しました。こうしてみると、老体に鞭を打って王淩を討伐したのが、寿命に影響したのでしょう。司馬懿の運命を決した高平陵の変から死去まで僅かに3年、実際の司馬懿の体調は相当に悪く、病を推しながらのしんどい晩年それが司馬懿の人生の最期の実態だったのです。
三国志ライターkawausoの独り言
五丈原で孔明が食も細く睡眠も浅い事を知った司馬懿は、孔明も長くないと増々、持久戦を決意したのですが、自分の晩年の3年、体調が悪い最中で権力奪取のクーデターをやるハメになった時には、流石に孔明を思い出したでしょう。過労で死去するのと病身で大仕事をやるのは違いますが権力者も楽ではないとしみじみ思ったでしょうね。
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